「どうせ」と「だって」はバイアス。パックン流対話を生み出す「聞く」力

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ハーバード流「聞く」技術

『ハーバード流「聞く」技術』

著者
パトリック・ハーラン [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784040822303
発売日
2020/03/07
価格
946円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

「どうせ」と「だって」はバイアス。パックン流対話を生み出す「聞く」力

[レビュアー] 印南敦史(作家、書評家)

ご存知のとおり『ハーバード流「聞く」技術』(パトリック・ハーラン 著、角川新書)の著者は、日本で四半世紀にわたって活動を続けている芸人、タレント。

ハーバード大学宗教学部を優秀な成績で卒業したことでも知られています。

2014年には『ツカむ! 話術』で独自の話術を紹介していますが、対する今回のテーマは「聞く」。

根底にあるのは、「ただ漫然と聞いているだけでは、相手が言わんとする真意を汲み取ることはできない」という思いだそうです。

とくに日本人の場合、「時間を気にせずゆっくりしていってください(=早く帰ってください)」「今度飲みにいきましょう(=さようなら)」「前向きに検討します(=無理だね)」など、言っていることと真意が一致しないケースも少なくありません。

そこでこの本では、そんな本音を見出す「建前対策」も含めて「聞く→聴く→訊く→効く」という四ステップで、最高の“聞き手”になる方法をお伝えしながら、対話の極意について語っていきたいと思います。(「はじめに」より)

きょうはその4つのなかから、「聞く」に焦点を当てた第2章「『聞く力』の9割は姿勢で決まるーーhear」に焦点を当ててみます。

自分の心に「聞」いてみよう

本章で扱うのはずばり、「聞」。 もっとも一般的に使われる「きく」を表す漢字です。門に耳を当てて中の様子をうかがう、という盗聴気味な行動に由来するそうです(諸説アリ)。

ちなみに「盗聴」を意味する「eavesdrop」の「eaves」は「軒」という意味で、軒下にいる人はその家の中に聞き耳を立てている人、というのが語源。発想がよく似ていますよね。(48ページより)

ところで「自分のことを知る」、すなわち「自覚」は対話の第一歩だといいます。

自分の実績や経歴、強みと弱みを「自覚」し、「自信」を持って「自己主張」する。それは話術の基本だということ。

とはいえ、「相手の話を聞くのに、なぜ自分を知る必要があるのか?」と気になってしまうかもしれません。しかし著者は、そこで「バイアス」を意識してほしいのだと記しているのです。

バイアスとは、思い込みや先入観、偏見、自分の思考の癖のこと。

相手の話を聞く時にこのバイアスが邪魔をして事実を歪めてしまったり、下手すると、耳にすら入れないという悪さをしでかすこともある。(49ページより)

だからこそ、バイアスという心の門を開け、フラットに情報を受け止めるべきだという考え方。

そういう状態になって初めて、聞く耳を持つことができたと言えるわけです。(48ページより)

「どうせ」「だって」の呪い

なお、バイアスのなかのバイアス、超高頻度で現れる“トップ・オブ・バイアス”が「どうせ」「だって」なのだとか。

「どうせまたいつもの話でしょ」

「聞いたってどうせ変わんないし」

「お前だって同じじゃん」

「だって聞いてるヒマがないもん」

というように、人の話を聞くときには脳内が「どうせ」と「だって」で埋め尽くされてしまうことが少なくないわけです。

ちなみに「どうせ」は相手の話を聞かずに内容を決めつけること、「だって」は言い訳、反論の準備をしている証拠だといいます。

「どうせ」「だって」は、とくに毎日顔を合わせる家族や友人、上司や部下に対して使われがち。距離が近くて相手のことを知ったつもりになっているからこそ、親しければ親しいほど聞き逃しが多くなるということです。

しかも、お互いが「どうせ」を持ってしまった場合は最悪な結果につながる危険も。

例えば上司が部下に助言をするシーン。「どうせ課長の古い感覚を押し付けるだけ」と思っている部下が、「わかりました」と上辺だけの返事をして上司の話を聞き流す。

そして「こいつの“わかりました”はどうせ口先だけ」と、上司は部下の返事をまるっきり信じません。こんな「どうせ同士」は悲劇(喜劇?)の始まり。(61ページより)

「どうせ」という思い込みがコミュニケーションの障害になっている場合、「聞く」姿勢をつくるためにはその障害を取り除くことが必要になるはず。

そこで、脳内に浮かんだ「どうせ」をいますぐ捨ててしまおうと著者は呼びかけています。(59ページより)

素直に話を聞くために「自分への攻撃」と考えない

「だって」は、「どうせ」と並ぶ二大バイアスのひとつ。なお著者によれば、「どうせ」よりも「だって」のほうが“ちょっとヘヴィ”なのだそうです。

なぜなら「だって」は、人の話に対し、とにかくケチをつけたくなるクセだから。

このタイプの思考のクセ(というかバイアス)を持つ人は、「どうせ」のように聞き流すのではなく、相手の話をどう論破してやろうか、反論してやろうかとウズウズしています。

そのため相手が自分にとって有益なことを話してくれていても、あら探しの方に夢中になり、意図を聞き流してしまいます。 また素直に話を聞きれないので、相手の話をとにかく否定し、自分をかばってしまうことも。(66ページより)

「だって」で論点をすり替えて言い訳をし、自分を正当化しようとするのは損なだけ。

聞く耳をふさぎ、自分の欠点をねじ曲げて美化し、下手をすると是正すべき点を逆に伸ばしてしまうそうです。

そもそも指摘は個人攻撃とは異なるものであり、議論も口論とは違います。

そう思って相手の声を聞いて受け止めることができれば、情報をたくさん獲得でき、改善点を教えてもらえることもあるかもしれません。

結局はそのほうが、議論にも交渉にも強いことになるわけです。

つまり、防御はむしろ自分を弱くしていることなのだと自覚する必要があるということです。(65ページより)

個人的なエピソードなどを交えながら、軽妙かつコミカルな文体で話が進められていくので、無理なく読むことができるはず。

しかもサラッと本質を突いていたりするので、痛快でもあります。

つまりは読んで学ぶというよりも、楽しみながら「聞く」力をつけることができる一冊だと言えるかもしれません。

Photo: 印南敦史

Source: 角川新書

メディアジーン lifehacker
2020年4月3日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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