『国際関係から学ぶゲーム理論』
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いかに対立を乗り越え、協力関係を築くのか?――『国際関係から学ぶゲーム理論』の著者が語る
[レビュアー] 岡田章(一橋大学名誉教授)
この度、『国際関係から学ぶゲーム理論』を出版した。本書は、国際紛争や国際協力の題材を用いてゲーム理論を学ぶための入門書である。すでに多くのゲーム理論の教科書が出版されているが、主に経済・経営学部の学生を対象に書かれていて、政治学を始め他の社会科学の分野の読者には馴染みのない用語や数式が多く、学習の妨げになっていることが少なくない。
ゲーム理論の「ものの見方と考え方」を学ぶことは、政治学、政策学、社会学や社会心理学などを専攻する学生にとっても有益であると思う。また、ゲーム理論の知識を身に着けることは、国際協力の実務に携わる方々にとっても、論理的議論が要求される国際交渉の現場で有効な道具の1つになると思う。
この場を借りて、本書の自己紹介とともに出版の経緯や最近の講義の経験、国際協力について個人的な考えを述べさせていただく。
出版の経緯
昨年3月に大学を定年退職した後、4月から成城大学社会イノベーション学部で「国際協力・開発イノベーション論」の講義を1年間担当したことが本書を執筆する経緯となった。科目名にある「イノベーション」は、変化や新しいアイディアの導入を意味する広い概念である。国際協力・開発を可能にするためには、人々の意識(インセンティブ)を変え、制度変化をもたらす社会イノベーションが必要である。ゲーム理論から見た国際協力の成功の鍵は、プレイヤーのインセンティブとゲームのルールをどのように変えて国際協力を可能にするかである。
このような考えに基づいて、ゲーム理論の学習を基礎に国際協力・開発の問題を考える講義シラバスを作った。学生の多くはこれまでゲーム理論を勉強したことがない(たぶん名前も聞いたことがない人が多い)と思われたが、昨年は予想以上の約300名の学生が受講した。
本書は入門書であるが、内容のレベルを下げずに、情報不完備ゲーム、繰り返しゲーム、進化ゲーム、提携形成ゲームなどゲーム理論の重要な項目をカバーしている。国際関係への応用テーマとして、不確実性下の領土交渉、平和のシグナル、戦略的補完性、歴史経路依存性、地球環境問題、多国間協力におけるネットワークとマッチング、自由貿易交渉、国際協力制度の形成、信頼の文化的継承などを説明している。
最近の講義の経験
経済学や政治学ばかりでなく生物学から社会心理学まで、近年、ゲーム理論は理系と文系のさまざまな学問分野で研究、講義されている。ゲーム理論が研究対象とする「自律した行動主体の相互依存関係」は、さまざまな学問分野に共通したテーマである。
ゲーム理論を講義する場合、受講生の関心や予備知識に応じてレベルや重点の置き方は変わるが、大学や学部の違いはあまりない。
むしろ理系と文系の比較で顕著なのは、国立、私立を問わず文系学部の出席率の低さである。個人的な限られた経験であるが、出席をとらない場合、出席率は約2割程度である(私の講義の問題かもしれないが)。私は古いタイプの教員なので、これまで出席率をあまり気にせず低くてもよいと考えていた。勉強する、しないは、学生の自由である。もし勉強不足で単位がとれなくても、それは学生の責任であると基本的に考えていた。残念ながら、このような自由放任主義の教育は最近の学生には適切でなく、むしろ不親切であると思う。私の学生時代には考えられなかったが、最近は出席をとることを希望する学生が多い。
大学生の学力低下が指摘されて久しい。以前は「分数がわからない大学生」と呼ばれていたが、最近は「日本語も怪しい大学生」と呼ばれている。レポートなどでも意味不明な文章、助詞の変な使い方や誤字が目立つことがある。
ゲーム理論では利得表(行と列がプレイヤーの行動を表し、2人の行動に対して利得の組が対応する表)を頻繁に使うが、行動に対応する利得を読めない学生が約1割いる。
心理学者のダニエル・カーネマンの著作『ファスト&スロー』(早川書房)の中に「バット・ボール問題」と呼ばれる質問がある。内容は、「1本のバットと1個のボールが合わせて1.10ドル。バットはボールより1ドル高い。ボールはいくらですか?」という内容である。正解は5セント(1ドル=100セント)だが、多くの人は10セントと間違えるようだ。もしボールが10セントならば、バットは1ドル10セントで、合わせて1ドル20セントとなってしまう。実は、私も最初に読んだとき、とっさにそう答えてしまった。カーネマンによると、ハーバード、MIT、プリンストンの大学でも50%以上の学生が間違えるそうである。先日、私の授業でも受講生に質問したが、52人中25人が間違った。誤回答は、50セント(12名)が多く、次に10セント(10名)が続いた。
心理学によると、人間の判断や意思決定には2つのシステム、1と2、があり、システム1は自動的に瞬時に判断し(ファストな思考)、システム2は努力してゆっくりと判断する(スローな思考)。「バット・ボール問題」は分数の出ない算数の問題で、小学6年生なら正解率はもっと高くなると思う。「バット・ボール問題」で間違う大学生や利得表を読めない大学生は、システム1のレベルで判断していると考えられる。
もしこの仮説が正しいならば、最近の学生に必要なのは、努力と時間のコストをかけて「ゆっくりと思考する」トレーニングだと言える。この点から言えば、スマホは学習にとって害である。
ゲーム理論や経済学でパレート最適な利得分配は、「相手の利得を下げずに自分の利得を上げられない利得分配」と定義されるが、「……せずに……できない」という文章の論理構造が理解できない学生がいる。さらに、上の定義と「すべての個人の利得が上がるような他の利得分配がない利得分配」は(例外的な場合を除いて)論理的に同値であるが、「この事実を論理的に文章で説明せよ」という試験問題を出せば、正解率はかなり下がると思う。
高校国語の新学習指導要領では、「現代文」は「文学国語」と「論理国語」の選択科目となったが、もし「論理国語」の内容が契約書や条例の実用的な「悪文」を読み解くことを目指すものであれば、生徒の勉学意欲をそぎ、論理力の向上にはならないことを危惧する。科目数を増やし中途半端な内容を教えることは避けなければならない。
国際協力について
21世紀に入り、国際社会は、地域紛争、国際テロ、地球環境問題、金融危機、関税戦争、移民問題、貧困、自国第一主義の台頭など多くの難問に直面している。これらの問題の解決のためには国際協力が不可欠であるが、国際社会の現状はその実現が容易でないことを示している。本書を執筆している時には予想もしなかった新型コロナウイルスの大流行が発生したが、感染情報の公開、人の移動制限、医療援助、ワクチン開発など感染流行を収束させるために必要な国際協力は不十分である。
国際協力に対する国家や人々の行動誘因はさまざまである。アメリカのトランプ大統領のようにディールによる自国の経済的利益のみに関心がある政治家もいるが、経済的利益以外に自由と民主主義、倫理や道徳的価値を重視する政治家もいる。ゲーム理論は、異なる価値や目的を追求する複数のプレイヤーの間でいかにして協力が実現するかを探究する学問である。
国際協力の理念に賛同する国家や人々が国際協力に異議を唱えるのは、大国に押し付けられた不平等な国際条約に小国が反対するなど、国際協力の公平性に関わることが多い。公平性は正義や価値理念と密接に関わり、歴史、文化、宗教や経済条件が異なるプレイヤーは異なる公平性の基準をもつ。
例えば、分配の公平性をめぐる議論でも、平等主義「人間は生まれながらに平等であるから均等に分配すべき」、競争(貢献)主義「貢献に応じて分配すべき」、必要主義「必要に応じて分配すべき」の3つの代表的な考え方がある。公平性をめぐって国々が対立し、国際協力が失敗することが多い。
経済学にアローの「不可能性定理」と呼ばれる定理がある。多数決で個人の選好を社会的選好に集計するとき、個人の選好では推移性が成り立つが社会的選好では推移性が成り立たないことがある。社会的選好が推移性を満たさない場合、1つの選択肢を社会全体として選択することはできない。アローの定理は、独裁者が存在しないすべての「民主的」な投票ルールについてもこのことが成立することを示し、「不可能性」定理と呼ばれている。社会的選択論における画期的な成果であり、社会科学の中で最も重要な定理の1つと評価する研究者もいる。
また、アローの定理は「民主主義の不可能性」を示すと解釈する識者もいるが、この解釈は誤解を招きやすい。例えば、上記の分配の公正の問題で、個人1の選好は、平等主義>競争主義>必要主義、個人2の選好は、競争主義>必要主義>平等主義、個人3の選好は、必要主義>平等主義>競争主義とする。多数決ルールの下で社会的選好は、平等主義>競争主義>必要主義>平等主義となり、選好のサイクルが生ずる。このとき、民主的な多数決ルールの下では分配の社会的選択ができない。しかし、これは「民主主義の不可能性」を示すものではない。むしろ、このような社会的決定の非確定性を民主主義社会の特質ととらえ、話し合い、譲歩、他者への共感を通じて望ましい社会的決定の合意を目指すことが求められる。
国際協力についても同様のことが言える。国際協力の実現には、共通認識、合意形成、合意遵守、自由参加の4つの問題を解決する必要がある。本書では、これらの問題の解決に有効なゲーム理論の考え方とモデルを述べている。本書がゲーム理論を学び国際協力を考える方々の一助になれば、幸いである。