三島由紀夫の印象が一変する…幻想、ホラー、コメディなどバラエティに富んだ短編小説が面白い〈新潮文庫の「三島由紀夫」を34冊 全部読んでみた結果【前編】〉

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花ざかりの森・憂国

『花ざかりの森・憂国』

著者
三島 由紀夫 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784101050416
発売日
2020/10/28
価格
693円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

34冊! 新潮文庫の三島由紀夫を全部読む[前編]

[レビュアー] 南陀楼綾繁(ライター/編集者)

『殉教』

 九編を収録。

「スタア」は、売り出し中の俳優・水野豊とその付き人・太田加代の世間から見えない関係を描く。このとき撮影所で進行中なのはやくざ映画で、これは三島が主演した『からっ風野郎』がモデルだろう。三島はこの映画で、「なるたけオブジェとして扱われる方が面白い」と、大学の同級生である増村保造監督の指示に従った(「ぼくはオブジェになりたい」『三島由紀夫評論全集』第二巻)。ロケの場面などに、このときの観察が生きている。

「三熊野詣」は、私が最初に読んだ三島の短編。久しぶりに再読したが、やっぱりいい。歌人で文学博士の藤宮と、その世話をしながら藤宮に歌を学ぶ常子は、熊野への旅に出かける。藤宮は風采が上がらず、暗い陰湿な人柄で「化け先(せん)」というあだ名さえある(折口信夫がモデルだと云われる)。三つの神社をめざして移動するうちに、藤宮のこの旅に秘めた思いが明かされ、常子の心も動いてゆく。

「毒薬の社会的効用について」は、三島には珍しくSF的で、「一九九九年」の時点から、X氏の人生をたどる構成になっている。「偉大な姉妹」と同じく、ここでも上野動物園が出てくるのが興味深い。三島はここが好きだったのだろうか?

『手長姫 英霊の声 1938-1966』

 九編を収録。

 三島由紀夫が生まれたのは、一九二五年(大正十四)。彼は昭和とともに歳を重ねていった。

 本書は、十三歳で書いた初の小説「酸模(すかんぽう)」を冒頭に置き、昭和の流れに沿って、十代、二十代、三十代、四十代に発表された短編をまとめている。河出文庫にすでに収録されている「英霊の声」を含め、すべて初の新潮文庫化である。

 二十六歳で書いた「手長姫」は、精神病院に入院している元華族の鞠子の生涯を描く。無邪気な盗癖を持つ彼女は「手長姫」と呼ばれる。あるとき、彼女は時計を万引きし、それを見つけられて店から逃げる。

「「泥棒! 泥棒!」

 こういう呼称は本当は妙である。「大臣! 大臣!」とよぶときは、相手の大臣を呼ぶにすぎないだろう。しかし「泥棒!」とよぶときに、われわれは不特定多数の意見、乃至は輿論に呼びかけているのである」

 本筋ではないのだが、こういう指摘に思わず「なるほど」と思ってしまう。

 三十八歳で書いた「切符」は、商店街の会合のあと、松山の誘いで何人かが遊園地の「納涼お化け大会」を覗く。松山は、そこにいる谷が妻の自殺の原因ではないかと疑っている。暗闇の中で松山は幻想を見る……。切れ味のいい怪談だ。

 最後に置かれた「英霊の声」は、「帰神(かむがかり)の会」に出席した「私」が、依り代となった川崎の口から「裏切られた者たちの霊」の声を聞く。彼らは二・二六事件で死刑になった者たちの霊であり、特攻隊員の霊でもある。これまでなんとなく遠ざけていた作品だが、伝奇小説のような迫力がある。

 霊たちは、自分たちが身をなげうったにもかかわらず、ついに「神風」が吹かなかったことを嘆き、「などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし」と叫ぶ。この嘆きは、「海と夕焼」(『花ざかりの森・憂国』)で、マルセイユに着いた十字軍が「海の水が左右に分れる」夢を打ち砕かれるときにもあがったものだ。

「奇蹟の到来を信じながらそれが来なかったという不思議、いや、奇蹟自体よりもさらにふしぎな不思議という主題(略)はおそらく私の一生を貫く主題になるものだ」と三島は述べている(『花ざかりの森・憂国』解説)。
 
 
 八冊の短編集を読んでみて思うのは、三島由紀夫の持っていた豊かな可能性だ。とくに最初の二冊の自選短編集は、自身に与えられたイメージを振り払うように、あえてさまざまなタイプの作品を選んでいて、「俺はこんなもんじゃないよ」という自負が感じられる。

 四十五歳という若さで死ななかったら、三島はもっといろんな短編を書いただろうか。それとも、もはや、書きつくしたから死んだのか。

 新潮文庫には入っていないが、「荒野より」という短編がある(中公文庫『荒野より』)。

 ある朝、仕事を終えて眠りについた「私」の家に、見知らぬ青年が上がり込む。彼は「本当のことを話して下さい」と「私」に迫る。警官がやってきて、青年は連行される。

 いまで云うストーカーだが、実際にこれに近い事件があったという(松本徹編著『年表作家読本 三島由紀夫』河出書房新社)。

 事件のあと、「私」はこう述懐する。

「慄えながら立っている一人の青年の、極度に蒼ざめた顔を見たときに、私は自分の影がそこに立っているような気がしたのである」

 三島由紀夫の名短編にこの作品を選んだ中上健次は、三島は「このようなドッペルゲンゲル風な作品を多作している」と指摘する(『群像 日本の作家18 三島由紀夫』小学館)。先に紹介した「花火」もその一つだろう。

「もう一人の私」という視点を持って、三島の短編を読むと、新しい発見が得られるかもしれない。

 九十編の短編を読んで、むりやり私のベスト3を選ぶとこうなる。(1)「百万円煎餅」(2)「橋づくし」(3)「花火」。

 さて、私の三島行脚はまだ続く。次回は長編小説にチャレンジします。

新潮社 波
2020年12月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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