三島由紀夫の印象が一変する…幻想、ホラー、コメディなどバラエティに富んだ短編小説が面白い〈新潮文庫の「三島由紀夫」を34冊 全部読んでみた結果【前編】〉
レビュー
34冊! 新潮文庫の三島由紀夫を全部読む[前編]
[レビュアー] 南陀楼綾繁(ライター/編集者)
南陀楼綾繁・評「34冊! 新潮文庫の三島由紀夫を全部読む[前編]」
読まず嫌いのライター・南陀楼綾繁さんが、新潮文庫刊行の三島由紀夫作品を全部読むことに挑戦。ほとんど読んだことのない上に、三島に苦手意識を抱くライターの行方とは?
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短編小説が面白い
寝返りを打つと、朱色の背表紙が目に入る。この一カ月、その山が次第に大きくなっていった。しかし、まだ終わりは見えない……。
まだ暑さが残る九月の頭、私は本誌編集長のKさんに呼び出され、新潮社にいた。十五年ほど前、『yom yom』で「小説検定」の連載がはじまった頃から、私はこの人の無茶な依頼を断ることができない。
「今年は三島由紀夫の没後五十年だから、新潮文庫に入っている三島本を全部読んでなんか書いてくださいよ」
案の定、こんなことを云われた。Kさんの隣には、文庫出版部のNさんが笑みを浮かべている。彼の前には三十三冊の三島本が積まれている。さらに十一月には新刊も出るという。
他の作家ならともかく、三島は困る。正直なところ、これまでほとんど読んでいないのだ。
小学生のとき、学校で旺文社文庫の名作セットを販売していたことに反発し、純文学を避けてSFやミステリばかりを読んでいた。高校生になって、いくらか近代文学を読むようになった(それらの面白さを伝えてくれたのは、エンタメのど真ん中にいた筒井康隆や星新一のエッセイだった)が、三島には接触しないままだった。
直感的に、この作家と付き合うのはめんどくさいと思ったからだ。
あとになってみると、三島に苦手意識を抱いていたのには、二つの理由があった。
まず、三島が推理小説を嫌っていたことだ。
「とにかく古典的名作といえども、ポオの短編を除いて、推理小説というものは文学ではない。わかりきったことだが、世間がこれを文学と思い込みそうな風潮もないではないのである」(「発射塔」一九六〇年七月。『三島由紀夫評論全集』第一巻、新潮社。現代かな遣いに改めた。以下同)
おそらくこの時、三島が念頭に置いていたのは、松本清張だった。清張は一九五三年に「或る「小倉日記」伝」で芥川賞を受賞したが、その後、推理小説を書きはじめた。『点と線』(一九五八年)、『ゼロの焦点』(一九五九年)がベストセラーになり、この時期には社会派推理小説の旗手となっていた。
この三年後、こんな出来事があった。『続 高見順日記』(勁草書房)一九六三年七月十七日にこうある。
「中央公論社の「日本の文学」編集委員会。(略)松本清張君を入れるかどうかが、大問題になった。(略)三島君がまず強硬意見を述べる。(略)三島君が、松本を入れろと言うのなら、自分は委員をやめるつもりだ。全集からもオリるつもりだと言った」
結局、この意見が通り、清張は収録されなかった。このエピソードを知ったとき、清張びいきの私は「三島って心が狭いヤツだな」と思わざるを得なかった。
もうひとつの理由は、私が私小説が好きで、どちらかと云えばマイナーな作家を読んできたことだ。まさに金閣寺のようにきっちり構築された絢爛豪華な世界を描いた、大メジャーの三島は、距離の遠い存在だった。
そんな話をしたところ、Nさんは「むしろ南陀楼さんみたいな読者に向けて、新潮文庫の三島本をリニューアルしたんです」と云った。
「没後五十年を機に三島由紀夫の多彩な魅力を知ってほしいと考えています。読まず嫌いの読者に、出会いと発見があればと。三島は純文学作家という枠を越えて、いま読んでも物語性豊かな作品を多く書いています。要するにエンタメ作家でもあると思うんです」
その方針に沿って、既刊三十三冊のカバーを一新するとともに、主要作十一冊に作家や研究者の新解説を付すという。あとでも触れるが、この新解説はどれも素晴らしく、読者にまさに「出会いと発見」をもたらすものだ。
また、新潮文庫じたいが以前よりテキストとして読みやすくなっている。今回のリニューアルより前、三島本はほぼ全点が9・25ポイント×1行38字×16行になっている。老眼が進んでいる私にはこの大きさはありがたい。
三島作品の最初の新潮文庫は一九五〇年の『仮面の告白』だが、これは8ポ×43字×17行で、しかも旧かな遣いだ。とても読めません。その後、新かなに変更され、文字も拡大されていまに至るわけだ。
横道に逸れたついでに書くと、三島と新潮社の関係は特別なものがある。