『あるヴァイオリンの旅路』
- 著者
- フィリップ・ブローム [著]/佐藤 正樹 [訳]
- 出版社
- 法政大学出版局
- ジャンル
- 歴史・地理/外国歴史
- ISBN
- 9784588352355
- 発売日
- 2021/02/26
- 価格
- 3,740円(税込)
書籍情報:openBD
『あるヴァイオリンの旅路 移民たちのヨーロッパ文化史』フィリップ・ブローム著、佐藤正樹訳
[レビュアー] 桑原聡(産経新聞社 文化部編集委員)
■スリリングな歴史探訪
古いバイオリンの出自を探る旅と17世紀欧州史、さらには著者の自分史と家族史を絡ませながら編み上げた重層的な作品だ。物語は著者がある工房で古いバイオリンと出合うところから始まる。内側には2枚のラベルが貼られていた。1枚は17世紀後半のミラノで活躍した職人、カルロ・ジュゼッペ・テストーレのものだが、この世界ではよくある偽物。もう1枚には1882年にウィーンで修理されたとある。こちらはどうやら本物らしい。独特な「訛(なま)り(様式)」のある姿から、ドイツ南部の町、フュッセンで修業した職人がイタリアの工房で作ったものと専門家はみる。
著者は1970年にドイツのハンブルクで生まれた歴史家。ジャーナリスト、作家でもあり、青年時代はプロのバイオリニストになろうと努力を重ねたものの、才能のなさを悟り夢を諦めた過去を持つ。いまだにバイオリンへの憧れをいだく著者はその姿と音色に魅せられ、300年前を生きた製作者をハンスと名付け、彼を探す旅に出立する。これが本書の本筋だ。
フュッセン、ロンドン、ウィーン、ミラノ、ベネチアを訪ねて、製作や鑑定の専門家に取材し、さまざまな史料に当たる。確かな証拠を得たと思ってもすぐに反証が出てくる。行きつ戻りつのプロセスは探偵小説のようにスリリングだ。著者はこの本筋にペスト、小氷期、戦争に翻弄された17世紀欧州の歴史を重ねる。すなわち移民、交易、庶民生活の実相、音楽史、文化史などにも目を配り、その中にハンスを置いて真実に迫ろうとするのだ。加えてバイオリンに挫折した自分と家族の歴史にも言及、自分の情熱が何に由来するのか突き止めようとするところなどは私小説の趣がある。
さて、探偵小説的興趣を台無しにしてしまうだろうから、ハンス探しの結末は伏せておく。その代わりに強調しておきたいことがある。著者の旅は、歴史の奥行きと深淵(しんえん)、人とモノの無数の繋(つな)がりと連鎖、その連鎖の果てに自分が存在していることを実感する旅でもあった。いわば自分探しの旅だ。それがハンス探しの旅と共振し、えも言われぬ響きを生み出している。本書の真の味わいどころはこの響きかもしれない。(法政大学出版局・3740円)
評・桑原聡(文化部)