『新版 窓のある書店から』
書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます
小特集柳美里『新版 窓のある書店から』刊行記念エッセイ
[レビュアー] 田口幹人(書店人)
祖母が開業し、両親が後を継ぎ、僕にその本屋の襷が渡されたのが二十二年前の七月だった。奥羽山脈の山間地にある人口六〇〇〇人程度の小さな町にあった本屋だった。その地で本屋を経営していた約七年間は、苦楚の日々だった。今でもかつて住んでいた町の名を耳にすると痛みが込み上げてくることがある。抗い、もがき続けた日々は、僕の死で終わりを告げるはずだったが、運よくこの世に生き続けることになり、また本と向き合うことになったのは、副住職として同郷の寺を守っていた心友の言葉だった。死を選んだ人間が娑婆に戻ることの意味を静かに説いた彼の言葉は生きることに差向う勇気を僕に与えてくれた。
出版業界に身を置くようになり今年で二十八年目となる。この間、一冊でも多くの本を売るためにできることを考え続けてきた。一方で、ずっと考えていたことがある。「本屋」とはなんだろう、という問いだ。
様々な仮説を立てながら、街には本屋が必要だと言い続けてきたが、自分自身ストンと腹落ちする仮説を立てられずに本屋の現場を離れて三年が過ぎようとしている。毎日本に触れることのできない環境は寂しいが、本屋を別の角度から考えることができた三年だった。変わらずに考え続けたのは、やはり「本屋」とはなんだろう、だった。
二〇二〇年の春先、訪ねた本屋の店主が話してくれた。
「本は壁にぶつかったときや、何かに躓いたときに、誰にも打ち明けられないことを打ち明けられるものだと思っていて、そのために本を読むのだ。すごくハッピーなときには本は読まない。恋愛していてそれでいっぱいなときには、本を読む必要がない。ただ、行き止まり、行き詰まり、八方塞がりのときに本を開く。本は別世界への扉だと思っていて、無数の扉に囲まれて全部それが別世界に繋がっているという場所が本屋なのだ。こんなに扉がたくさんある空間はほかにない。だからこそこの地で本屋をはじめた。本屋は、可能性に満ちていると思う」と。
その本屋に向かう電車の中で読んだ本にこんな一文があった。
「人生は死によって閉ざされるのではなく、死が閉ざされた生を拡げるのではないか」と。
東京から電車で四時間の電車旅。車窓の風景は、ビル群から住宅街へと移り変わり、いくつかのトンネルを抜け、雪解けを喜び新芽という命の息吹を感じられる木々が目立つようになった頃、胸の奥に痛みが走った。かつて暮らした町とそこでの日々が蘇ってきたのだろう。この一文は、自分に向けられた言葉であるかのように僕の心に深く響いた。死が閉ざされた生を拡げてくれる。他者でも、自分自身であっても。
こんな一文もあった。
「本は、単なる商品ではありません。読者は、消費者ではないのです。(中略)自分の中に確かに存在するけれども、目では見えない『こころ』と出会うことができるような本を揃えます。良い本との出会いは、自分の『こころ』に触れることができるから」
そして、本についてはこのように続いていく。
「本は、扉を開ければ、そのまま異世界に通じたり、存在という事実そのものに立ち戻らせてくれたり、悲しみを明るく照らしたりしてくれます」と。
さらに、本を構成する言葉についての記述が続く。
「言葉が、言葉としての役割を最終的に問われるのは、自分と他者の不幸や不運に直面した時だ」と。
僕が訪ねた本屋は、言葉に傷つき、言葉に救われ、言葉の役割を絶えず問われる場所で、言葉と向き合い続けた店主の想いが詰まった本屋だった。
「本屋ってなんだろう?」という問いに対する僕の考え方をまとめる意味において、この本屋に足を運んだ意義は大きかったと感じている。
この度、『窓のある書店から』の新版が出版されるということで、真っ先に読ませていただいた。本書は、まさに僕が二〇二〇年に訪れた本の囁きに耳を澄ます本屋そのものだった。
書評ではなく、読んだ本を自分の内に取り込み、体内で消化し、自分のものとした後にリアルな生に触れた体験を言葉にして紡いだエッセイ集だった。書斎に隠って世界を窺うような作家になるのではなく、読書もひとつの体験にしたいと考えてきた彼女の想いの詰まった本屋のような本だった。
次回は、本書を読みながらまた電車に揺られあの本屋に行こう。
〈引用〉
『南相馬メドレー』柳美里、第三文明社
訪れた本屋『フルハウス』店主・柳美里、福島県南相馬市小高区東町