結婚式では、キスの代わりに相手の身体に生えたきのこを食べる? 日常に菌が食い込む無二の幻想文学

レビュー

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日々のきのこ

『日々のきのこ』

著者
高原英理 [編]
出版社
河出書房新社
ISBN
978-4309030159
発売日
2021/12/22
価格
2,420円(税込)

[本の森 SF・ファンタジー]『日々のきのこ』高原英理

[レビュアー] 北村浩子(フリーアナウンサー・ライター)

 1959年生まれ、評論家としても活躍し、ゴシックホラーや幻想文学のジャンルで多くのファンを持つ高原英理の最新刊『日々のきのこ』(河出書房新社)は、こんな書き出しで始まる。

〈まるまるとした茶色いものたちが一面に出ていて、季節だなと思う。どれもきのこである〉

 きのこ狩りだろうか? 違った。女性の〈わたし〉は、きのこを狩るのではなく「踏む」のだった。胞子を拡散させる季節労働的職業に従事しているのだ。舞い上がる色煙を楽しみながら〈わたし〉はばふんばふんとホコリタケを踏んでゆく。胞子に奉仕するのである。平和だ。と思ったらこの世界には〈身の半ば以上菌糸となって人間より菌の度合いが多くなった〉菌人、がいるらしい。星に反応して生える「流星茸」の存在を口にする人物、人を死に至らしめるきのこが群生する森、体表に付着した菌の力で一年に一度だけ空を飛ぶ(飛べる)男、菌人が経営する森の中のきのこ温泉――物語世界の様相が次第に明らかになってゆく。

 収められている三編、第一話の時点では、まだ菌人は人口の半分を超える程度。それが第三話では〈無症状を含めた菌人が現生人類〉で〈いずれは身に茸を生やすだろうという見込み〉のもとに人々が生活している、そんな世の中となっている。

 と書くと、きのこが人類を侵略する恐ろしい話かと思われそうだが、謎めいていてグロテスクではあっても怖さが先に立つわけではない。菌の保持が普通になったことで〈徐々に人間の定義が曖昧に〉なり、〈「正常」の範囲をなるべく広げる〉〈他者の不審行動を許容する〉ように社会が変わるのだ。結婚は「菌婚」「きのこん」と呼ばれ、式ではキスの代わりに相手の身体に生えているきのこを食べる。菌婚に性別は問われず、人間部分が同性でも異性でもいい。「変容」しても、もちろん性交もできる。家族を失って森の中の小屋に辿り着いた男が、ほとんどきのこ化している小屋の住人とセックスする場面など、とても気持ちよさそうで思わずうっとりしてしまった。

〈きのこ心〉が映し出される箇所も丹念でユニークだ。文法や語彙の奇妙さと逸脱がユーモラスなリズムや新しいオノマトペを生み、ときに詩のような一節が挟まれる。〈石の際をわたり知る喜怒のあわいは黒く雨に濡れて鉛の距離にある〉〈探偵の薔薇が撒かれてゆく〉というフレーズなど、字面も美しい。

 時茸、鳴き茸、目玉茸……一冊読み終えるころにはあらゆる茸の胞子を浴びたような、きのこ尽くしの気分になっている。ところが、と言っていいのか、最後の数ページに出てくるきのこはたった一本だ。〈わたしは五歳の頃、同年の子たちとうまく遊べなかった〉から始まる、少女と小さな赤いきのこの短い友情の物語に心がしんと静かになる。

新潮社 小説新潮
2022年3月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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