日本人記者だからわかったウクライナの人々がとどまる理由――現地取材中の古川英治さんが見た“ウクライナの今” 【前編】

インタビュー

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破壊戦 新冷戦時代の秘密工作

『破壊戦 新冷戦時代の秘密工作』

著者
古川 英治 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784040823751
発売日
2020/12/10
価格
990円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

日本人記者だからわかったウクライナの人々がとどまる理由――現地取材中の古川英治さんが見た“ウクライナの今” 【前編】

[文] カドブン

■『破壊戦 新冷戦時代の秘密工作』著者、古川英治さんに緊急インタビュー【前編】

ロシアの秘密工作の実態に迫った角川新書『破壊戦 新冷戦時代の秘密工作』が刊行されたのは2020年12月のことでした。著者の古川さんは、今現在、ロシアの侵攻が続くウクライナにいます。武力による攻撃が始まり、1か月以上が経ちました。今、ウクライナはどんな状態なのでしょうか。前編ではその生々しい現状を紹介します。

ロシア軍に破壊された街、キーウ近郊ボロジャンカ。写真はすべて古川さん撮影
ロシア軍に破壊された街、キーウ近郊ボロジャンカ。写真はすべて古川さん撮影

■鳴り響く空襲警報

――古川さんは今、どこにいるのですか。

ウクライナ西部の町、リビウというところにいます。もともとは首都のキーウにいたのですが、ロシアの侵攻が始まって2週間ほどしてからリビウに移りました。こちらでは先週(3月26日)、中心部に近いところがミサイル攻撃を受けました。夕方、空襲警報が鳴り始めると、爆発音が聞こえ、小高い丘の上にある通信塔の裏手から黒煙が上がり始めました。けたたましいサイレンを鳴らす消防車が次々に現場に向かったり、母親たちが子供を抱きかかえて走りだしたりして、それまで穏やかだった街の雰囲気が一変しました。

今は落ち着いていますが、空襲警報は昼夜問わず頻繁に鳴っています。こんな状況でも人々は普通に生活しています。カフェやレストランも開いていますし、外で遊んでいる子どももいれば、散歩をしている人もいます。

爆音が響くと黒煙が空を覆い始めた(リビウにて)
爆音が響くと黒煙が空を覆い始めた(リビウにて)

――リビウに避難している人は多いと聞きますが、それでも空襲警報が鳴っているのですね。基本的なことを聞くのですが、キエフではなくてキーウなのですね。日本政府も最近、日本語表記を変えました。

キエフはロシア語由来で、ウクライナ語の発音ではキーウです。

――古川さんはなぜウクライナにいるのですか。

書籍を刊行した2020年12月当時は新聞記者で、東京本社の国際部というところにいました。2021年の春に退職し、秋にキーウに移りました。あるテーマについてキーウなどを拠点にヨーロッパをあちこち取材する計画でしたが、ロシア軍が2021年10月ごろから、ウクライナとの国境に集結して侵攻しようとしているのを見て、現地にとどまりました。

――侵攻が始まる前から街は物々しい雰囲気でしたか。

年明けから日増しに緊張が高まっていきました。それでもキーウの人々の日々の生活は驚くほど変わりませんでした。2月24日に侵攻が始まるまで、毎日オフィスで仕事をし、子どもは学校へ行き、カフェやレストランも普通に開いていました。週末になると、子ども連れが公園で遊んでいたり、カフェで語り合ったりする人々の姿がありました。

私は、モスクワ特派員だった時に知り合った旧知のロシア政府に近い関係者から「キエフを離れろ」と何度か警告を受けていたので、まるで「パラレルワールド」に住んでいるように感じました。2月23日の夜9時ごろに同じ人から「脱出するなら今夜しかないぞ」とメッセージが来ました。

――ええ!

そのメッセージにはこう書かれていました。「おそらく明日、ロシア軍はウクライナへの全面的な侵攻を開始する。最大の狙いは首都で、3~4日で包囲し、インターネットや電気、水道、ガスを切断。ゼレンスキー政権を転覆させて、ロシアの言うことを聞く傀儡政権を樹立する」とありました。そして実際に翌朝5時にロシア軍はウクライナ各地への攻撃を始めたのです。私がいたキーウでも爆撃音が響きました。

――ロシアの侵攻が始まった後の街の様子はどうだったのでしょうか。

ほとんどお店が閉まり、人通りは極端に少なかったです。銀行のATMや薬局の前の行列ができていました。一部のスーパーはやっていましたが、みな買いだめに走っている感じではなく、必要なものを普段通り淡々と買っている姿が印象的でした。いつも仕事場にしていたカフェがあるので寄ってみたら、そこはなんと開いていました。お客さんはいませんでしたが、顔見知りの大学院生のバイトさんは「きょうは意地でも店を開けてやると思って、オーナーに相談して営業した」と話していました。

日が暮れると、市政府から「シェルターにいってください」というメッセージが携帯電話に入ってきて、近くの地下鉄駅に行きました。ソ連時代につくられたウクライナの地下鉄はシェルター兼用になっており、日本よりも何倍も深くつくられています。でも、その晩、そこはあまり混雑していませんでした。後日、取材で訪れた住宅地に位置する病院地下のシェルターは続々と人が集まってきて、食べ物を持ち寄って分け合っていました。私も「おなかすいていない? よかったらジャガイモ料理食べて」と声を掛けられました。

――インフラやテレビの放送などはどうでしたか。

ロシアの取材先は「3~4日でライフラインは切られる」といっていたのですが、電気、ガス、水道は保たれました。私はインターネットが切断されることを一番恐れていましたが、いまもライフラインはすべて維持されています。侵攻開始から数日後にキーウのテレビ塔がミサイル攻撃で破壊されましたが、首都はデジタル放送化されているので、テレビも映りました。テレビ番組はどこも昼夜戦況を伝えていて、政府や軍の関係者が度々出演して状況を説明しています。

――その後、西部の町に移動しようと考えたのですね。

3月6日までキーウにいました。北からロシア軍が30キロまで迫っており、中心部周辺へのミサイル攻撃も頻繁になっていました。そこである企業が組織したバスでリビウに移動することにしました。

発つ前にキーウの中心街を歩きまわりました。そのころには半分くらいの住民が避難したとされ、街を歩いている人はほとんどいなくなりました。ロシア軍の侵攻を防ぐためにバリケードが築かれ、いたるところに検問所が設けられていて、パスポートを20回くらい見せました。市内の治安維持を担っていたのは民間の志願兵たちで、20歳前後の若者たちです。銃を抱えて警戒にあたっていました。みんな親切で、抜け道を案内してくれたりしました。普段見ていたなじみ深い景色が変わりはてていて、人々の普通の生活が破壊されたのだと実感しました。少し泣けてきました。

首都の大通りから人影が消えた(キーウにて)
首都の大通りから人影が消えた(キーウにて)

その時、一軒だけ営業を続けているベーカリーカフェを見つけて、思わず二人の従業員のおばちゃんを抱きしめてしまいました。「なんでここに残っているの」と尋ねると、こんな答えが返ってきました。「パンやスィーツはみんな毎日必要でしょう。小麦粉がなくなるまでパンを焼くわ。ここに来るとみんな笑顔になるのよ。あなたがそうだった。素晴らしい仕事でしょう」。

営業を続けていたカフェベーカリーのおばちゃん(キーウにて)
営業を続けていたカフェベーカリーのおばちゃん(キーウにて)

■「国と民の存亡の危機」に見るコサックの伝統

――ウクライナ軍は激しく抵抗しているようですね。

ロシア大統領プーチンも欧米諸国も、そして私も、ウクライナの人たちの抵抗を過小評価していました。ロシアの取材先は、圧倒的なロシアの軍事力で「3~4日でキーウは包囲される」と言っていましたし、アメリカも「2日でキーウは陥落する可能性がある」と見ていました。そうしたなかで、私も首都陥落は時間の問題かもしれないと考えていました。

しかし、ウクライナ軍は各地でロシアの侵攻を抑えています。20万といわれる正規軍に加えて、民間から志願した兵士が男女10万人もいます。ウクライナ大統領ゼレンスキーが首都にとどまり、命がけで祖国に防衛にあたる国民を鼓舞しています。ロシアのミサイル攻撃や砲撃に耐える市民の決意にも驚かされます。「国外に退避すべきではないですか」と私が取材で問うと、多くの人から「ここが私たちの祖国だ。どこにも逃げない」という答えが返ってきました。国と民の存亡がかかっているわけですから、ウクライナ軍の士気は高く、国民の団結も強固なのです。

――「国と民の存亡」とはどういうことですか。

プーチンは侵攻する数日前の演説で「ロシアとウクライナは一つの民族だ」「ウクライナなんて国は存在しない」と言い放ち、ウクライナという国と民の存在を否定したのです。

ちょっと歴史の話をします。ウクライナやロシアなど、東スラブ民族の国家の起源は9世紀ごろにウクライナの地に誕生した「キーウ公国」です。13世紀にモンゴルの侵略によって崩壊したのですが、ロシアはその継承者だと主張してきました。

自由・民主主義の欧米の価値観に対して、専制体制を固めるプーチンはキーウ公国を源流とした宗教(東方正教)や言語のつながりに基づく「ロシア世界」という考え方を押し出すことで、独裁を正当化している面があって、キーウ公国の発祥の地であるウクライナを支配しようとしているのです。ロシアがウクライナの地を支配して台頭したのは17世紀になってからです。ウクライナ人にしてみればキーウ公国の歴史がロシアに乗っ取られたわけです。

――宗教や言語が近いのは確かですよね。ウクライナとロシアの違いはなんですか

もっとも大きいのはウクライナの分厚い市民社会の存在ではないでしょうか。ウクライナにはコサック(自由の民)の伝統があります。コサックとは、15世紀ごろからウクライナに住みついた、自由を求める農民や貴族らの自治集団のことです。現在のウクライナ南部ザポリージャ近郊のドニエプル川流域に「シーチ」と呼ばれる要塞を築き、普段は農耕を営み、自由を守る戦いで団結しました。いまのウクライナ議会の呼び名である「ラーダ」という全体会議で首領を選び、軍事行動を決めるなど、民主的な政治をしていたといわれます。自由を希求する気風や個人主義的なところは、絶対的な権力を握る皇帝の支配に慣れたロシア社会との決定的な違いでしょう。

ソ連時代の全体主義に激しく抵抗してきたのもウクライナ人でした。個人の所有を禁止した集団農場化などに最後まで抵抗しました。そのため繰り返し弾圧を受けています。たとえばソ連の最高指導者だったスターリンはウクライナの農民たちから自分たちが食べるものが何も残らないほど収奪し、飢饉(ききん)も相まって、1930年代に数百万人も餓死したことがありました。これはウクライナでは、人為的なジェノサイド、「ホロドモール」と呼ばれて記憶されています。しかも、この事件はソ連末期まで隠されていました。ウクライナ人と話すと、大半の人がこの時、家族を失っています。第二次世界大戦でもウクライナ人はソ連軍に強制的に戦争に駆り出されました。第二次世界大戦の死者は800万人にも上ります。それでもロシア人とは異なる言語や文化、アイデンティティーは生き残りました。

――恥ずかしながら、ウクライナのそうした歴史をまったく知りませんでした。

ウクライナとロシアはソ連崩壊後の歩みも大きく異なります。ロシアではプーチンが2000年に大統領に就任すると、独裁体制を敷き、20年以上も皇帝ともよばれるプーチンの支配が続いています。これに対して、ウクライナでは自由な民主選挙が行われ、政権が交代しています。汚職の問題がありますが、ウクライナの市民社会は強固です。

2014年には汚職にまみれた親ロシア派の政権に対する大規模な市民デモが起き、政権を崩壊させました。このとき、治安機関の発砲などにより100人以上の犠牲者が出しながら、デモ隊は引き下がりませんでした。こうしたウクライナの市民社会は、独裁者プーチンにとって脅威にほかなりません。「1つの民族」とみなすウクライナで自由・民主主義が確固たるものとなり、欧州への統合に向かえば、ロシアでも独裁に対する反発が強まりかねないからです。

――今回の侵略では、ロシア軍が占領していたキーウ周辺の街で市民の虐殺や拷問が行われていた事実が発覚し、日本でも衝撃が広がっています。

キーウにいたときから私がもっとも恐れていたのが、占領地域でのロシア軍による非人道的な行為です。ロシアはかつて、独立を求める同国南部のチェチェン共和国を無差別攻撃で破壊しました。ロシア軍の占領下では拷問や虐殺、性的暴行が行われました。アメリカの情報機関は今回の侵攻前から、ロシアがウクライナの政府幹部や人権活動家、ジャーナリストらロシアに批判的な人物のリストを作っていて、殺害したり収容所送りにしたりする懸念があると警告していました。

戦争による犠牲を抑えるためにウクライナ政府はロシアに譲歩すべきだといった意見が出ているようですが、ロシア軍の占領地で起きた虐殺を見て、そんなことが言えるでしょうか。抵抗を止めれば、自由は奪われ、虐殺や人権侵害が横行しかねません。プーチンはウクライナの国と民を破壊しようとしているのですから。歴史を見れば、「ホロドモール」を含めて、何百万人ものウクライナ人が弾圧され、殺されてきました。21世紀に?と思うかもしれませんが、これは現実です。ウクライナにはロシアの侵略と戦う以外の道があるでしょうか。

後編へ続く

▼後編はこちら
どうしたら戦争を止められるのか
https://kadobun.jp/feature/interview/entry-45588.html

■作品紹介
古川英治『破壊戦 新冷戦時代の秘密工作』

日本人記者だからわかったウクライナの人々がとどまる理由――現地取材中の古川...
日本人記者だからわかったウクライナの人々がとどまる理由――現地取材中の古川…

破壊戦 新冷戦時代の秘密工作
著者 古川 英治
定価: 990円(本体900円+税)
発売日:2020年12月10日

政治、金融、サイバー空間…あらゆる領域を攻撃するロシアの工作を徹底取材
フェイクニュースを溢れさせ、大量の黒いカネで各国の指導者をからめとる――。
世界支配をもくろむプーチンによる無法の工作とは。
著者は、ロシア情報機関の元高官や工作員などに接触。
生々しい現状を活写した衝撃作。
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322004000010/

撮影:古川英治 

KADOKAWA カドブン
2022年04月12日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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