海と音楽の物語 心地よく奇想の海をたゆたう三冊

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海と音楽の物語 心地よく奇想の海をたゆたう三冊

[レビュアー] 石井千湖(書評家)

 薄明の空のようでもある、美しい海の描かれた表紙が目を引く。サラ・ピンスカーの『いずれすべては海の中に』(市田泉訳)は、フィリップ・K・ディック賞を受賞した作品集だ。陸地に人が住めなくなった世界で豪華客船から逃げたロックスターとゴミ漁りの女性が出会う表題作、妻が一枚の図面を手がかりに情熱的な建築家だった夫を変貌させたものの正体にせまる「深淵をあとに歓喜して」、マルチバースで別々の人生を送るサラ・ピンスカーたちがある孤島に集められ殺人事件に遭遇する「そして(Nマイナス1)人しかいなくなった」など、十三編を収める。

 著者はミュージシャンとしても活動しており、音楽や歌をテーマにした話が鮮烈だ。例えば「風はさまよう」。舞台はよりよい場所を求め長きにわたって宇宙を旅する地球人が乗った船だ。ある日、歴史教師でフィドル奏者のロージーは、「風はさまよう」という曲が船のデータベースから消えてしまっていることに気づく。

 地球のさまざまな情報が保存されたデータベースは、以前ひとりのプログラマーによって破壊された。ロージーが学校で教える歴史も、彼女の祖母が宇宙空間で奏でたという伝説がある「風はさまよう」も、失われた記録を個々人の記憶でバックアップしたものだ。しかも宇宙船で生まれ育った第三世代のロージーは、地球に行ったことがなく、風がどんなものかも知らない。それでも歴史を伝えたいと思い、歌を通じて風を感じるくだりが胸を打つ。

 海と音楽で思い出したのが、小川洋子の『海』(新潮文庫)の表題作。恋人の実家を訪問した青年が、彼女の小さな弟の部屋に泊まる。弟が発明したと語る不思議な楽器、海からの風が吹かないと音が出ない〈鳴鱗琴〉が想像をかきたてる。シュペルヴィエルの『海に住む少女』(永田千奈訳、光文社古典新訳文庫)は、海に漂う町でいつまでも十二歳のままひとりぼっちで暮らす少女の話。誰もいないのに、きちんとしている少女が愛らしくも切ない。奇想の海をたゆたうのが心地よい三冊だ。

新潮社 週刊新潮
2022年8月4日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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