【本棚を探索】なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか? アガサ・クリスティー著

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【本棚を探索】なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか? アガサ・クリスティー著

[レビュアー] 大矢博子(書評家)

背景にある「若者の鬱屈」

 労働新聞でクリスティー? と意外に思われるかもしれない。確かにクリスティーといえば名探偵が登場する本格ミステリーが中心で、労務や社会問題には縁が薄いイメージがある。

 しかし小説は世相と無縁ではいられない。戦争、世界恐慌、大戦後の復興、冷戦などなど、クリスティーの作品には実はそういった社会情勢が背景にあることが多い。本書には今にも通じる世代間のギャップと当時のイギリスの労働形態が描かれている。そういう視点でクリスティーを読んでみるのも、なかなか面白い。

 イギリスで本書が刊行されたのは1934年。物語の舞台もその当時である。

 20歳代の青年、ボビイがゴルフをしている時、断崖の下に倒れている男をみつけた。慌てて駆け寄るがすでに虫の息。その男は「なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか?」と言い残して息絶えた。

 その後、死者の妹だという人物が現れ、事件は事故として処理される。あとになって死者の死に際の言葉を思い出したボビイは、親切のつもりでそれを妹に手紙で知らせるが、なぜかその後、ボビイが命を狙われることに――。

 ボビイの幼馴染の伯爵令嬢フランキーは何かおかしいと感じ、ボビイとともに事件を調べ始める。

 おてんばお嬢様とポンコツ青年のドタバタ探偵物語とでも言おうか、ユーモラスで軽快で波乱万丈、謎解きありロマンスありで最後は大団円と、とても楽しいミステリーだ――と、いうふうにみえる。

 けれど実は物語の背景には、この時代の若者の鬱屈が横たわっている。1930年頃の20歳代は「第一次大戦に間に合わなかった世代」と言われ、戦争に行っていないことが引け目になっていたのだという。上流階級の若者は退屈をもてあまし、パーティーや無軌道な遊びに興じていた。こうした享楽的で退廃的な当時の若者を、作家のイーヴリン・ウォーはBright Young Things(陽気な若者たち)と呼んだ。本書のフランキーはまさにそういう令嬢として描かれる。

 一方、中産階級のボビイは牧師館の四男。折りからの世界恐慌の余波で職がなく、実家に寄生しつつ友人と怪しげな商売を始めようとする。戦争を乗り越えた父親からみれば、切羽詰まっているはずなのに危機感がなく、ふらふらしている息子が気に入らない。何度話しても父と息子は分かり合えず、それもこれも戦争のせいだ、戦争がすべてを壊したんだとボビイは考えるのである。

 どの時代も「若者」は何らかのレッテルを貼られるものだ。かくいう私は社会に出た頃「新人類」と呼ばれたバブル世代である。

 生まれる時代も、その時の社会環境も選べない。けれど人はその時代と無関係でいられず、時として上の世代のツケを払わされる。

 今の新入社員はコロナ禍により学生生活を奪われた世代だ。企業の置かれた状況も厳しく、新卒採用自体が見送られた業種も多い。それは決して彼らの責任ではないのに。

 90年前のミステリーが、なんだか現代に似てみえる気がした。上の世代が若者に何をしてやれるのか、あらためて考えさせられる。

(アガサ・クリスティー著、早川書房刊、1078円)

選者:書評家 大矢 博子

労働新聞
令和5年1月23日第3385号7面 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

労働新聞社

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