『杉浦康平と写植の時代 光学技術と日本語のデザイン』阿部卓也著(慶応義塾大学出版会)

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杉浦康平と写植の時代

『杉浦康平と写植の時代』

著者
阿部卓也 [著]
出版社
慶應義塾大学出版会
ジャンル
芸術・生活/絵画・彫刻
ISBN
9784766428803
発売日
2023/04/06
価格
4,400円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

『杉浦康平と写植の時代 光学技術と日本語のデザイン』阿部卓也著(慶応義塾大学出版会)

[レビュアー] 金子拓(歴史学者・東京大教授)

「美しい本」支えた印字技術

 評者がいまの職場に入った前世紀末頃、刊行する日本史の史料集は電算写植で組まれていた。今世紀に入って、組版データをそのまま文字データベースにする必要上、電算写植からDTPへと移行した。この移行を検討するとき、写研やモリサワといった写真植字機の企業について勉強したことを懐かしく思い出す。

 本書は、金属活字に代わり、日本で独特な進化を遂げた、光学的技術により文字を印字する装置である写真植字機を用いて印刷する写植(手動・電算)の創出から衰退に至るまでの歴史を、その二大企業であった写研とモリサワの創設者である石井茂吉・森澤信夫の活動を軸にたどっている。またそれとともに、写植の技術を活用して、日本語の文章をいかに美しく、読みやすく組むかということに腐心し、デザインの立場から日本語の表記ルールに対する提言をおこなうなど、日本におけるブックデザインの草分けとして活躍する杉浦康平の仕事に迫る。

 杉浦や、彼の影響を受けたデザイナーたちの手がける書物が「文章の意味、文字の佇(たたず)まい、印刷技法、紙資材の選定」が分かちがたく結合した、閉じられた宇宙であるという指摘は、現在のデジタルデバイスによる「読書」の普及を考えると重要である。余白にも気が配られた美しい版面と文字で日本語を読みたいという欲求は、書物の内容を情報として提供し享受する行為とは相性が悪い。

 電算写植機の実現が印刷における組版ルールの整備をもたらした点など、活版印刷から写植を経てDTPへという書物史(印刷技術史)としても興味深い。袂(たもと)を分かつことになる石井と森澤双方の立場によって、あるひとつのできごとに対する評価が大きく異なることが多すぎ、歴史を研究している者としては、驚きと納得が入り混じる気分になる。

 ブックデザインの世界で杉浦と双璧をなす和田誠による杉浦へのインタビューを軸にした両者の比較論や、写研が生み出した代表的なゴシック書体「ナール」「ゴナ」の誕生秘話などもあり、書物好きに一読をおすすめしたい本である。

読売新聞
2023年7月7日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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