『戦争とデータ―死者はいかに数値となったか』
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『戦争とデータ 死者はいかに数値となったか』五十嵐元道著(中公選書)
[レビュアー] 堀川惠子(ノンフィクション作家)
犠牲者推計 苦難の闘い
――一人の人間の死は悲劇だが、100万人の死はもはや統計である。
交通事故で家族を失えば一大事だ。災害現場では1人の行方不明者を懸命に捜索する。だが戦争は死の重みを変える。かけがえのない命を数えるのに「約」がつくのだから。
戦死者ことに文民の被害はどのようにして数値に置き換えられてきたか、本書はその歴史とデータ生成の構造を分析する。「戦死者保護」つまり遺体を保護する国際規範が明文化されたのは1906年。国や赤十字、戦後は国連などが戦場の遺体、兵士の身元情報を記すドッグタグ、遺留品、埋葬場所の記録などを分析し、死者数を推定してきた。
ベトナム戦争でアメリカ軍が戦況を測る指標に使ったのが、敵と味方の遺体を数える「ボディカウント」。数値は軍隊内の競争を促し、昇進や特別休暇の取得にも影響した。そのため、保護すべき文民を殺してゲリラに仕立て、数を水増しするやり口が横行。データは現実から乖離(かいり)し、文民被害は統計から消えた。
内戦やゲリラ戦で国家が軍隊を管理する前提が崩れると、死者数の推定はより困難に。そこに登場したのが国際NGOや人権団体のネットワーク。統計学と人道問題が有意に結びついた。彼らは生存者の証言を丹念に収集、失踪者の膨大なデータベースと、紛争後の有権者リストを照らし合わせて生存確認を行う。DNA検査など法医学の手法でバラバラの遺体を再構成、虐殺や拷問などの死因まで特定する。科学的耐久性の高いデータは裁判で法的証拠になり、世論も動かす。これを歓迎しない軍事勢力は遺体を何度も埋め直して調査を妨害。フェイクニュースで事態を攪乱(かくらん)し、時に調査員の命まで狙う。
本紙は今月、ウクライナの民間犠牲者を「約1万人」と伝えた。短いデータの向こう側には、見えない犠牲者の存在を明らかにしようとする者たちの、もうひとつの戦争がある。