理論上、がん細胞だけが消え、人体に無害な治療法…ノーベル賞級の発見はどのように生まれたのか? 天才医師の挫折と苦闘に迫る

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がんの消滅

『がんの消滅』

著者
芹澤 健介 [著]/小林 久隆 [監修]
出版社
新潮社
ジャンル
自然科学/医学・歯学・薬学
ISBN
9784106110061
発売日
2023/08/18
価格
924円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

「革命期の科学」とがん

[レビュアー] 竹内薫(サイエンス作家)


光免疫療法を開発した小林久隆氏

 理論上、がん細胞だけをピンポイントで壊し、正常な細胞を傷つけない「光免疫療法」、そのノーベル賞級の発見をした医学博士の小林久隆氏に迫った書籍『がんの消滅―天才医師が挑む光免疫療法―』(新潮社)が刊行された。

 原理はシンプル――だがその画期的機構から「第5のがん治療法」と言われ、世界に先駆け日本で初承認された光免疫療法は、どのように生まれたのか。各メディアが取り上げた天才医師に5年間密着、数十時間のインタビューから浮かび上がる挫折と苦闘、医学と人間のドラマとは?

 偶然の発見、光免疫療法の仕組み、そして開発の苦闘など、本作の読みどころを、サイエンスライターの竹内薫さんが語る。

竹内薫・評「『革命期の科学』とがん」

 国立がん研究センターによれば、日本人の2人に1人ががんになる。日本人の死因1位は1981年からがん(悪性新生物)で、2021年の厚生労働省の統計によれば、26・5%を占める。4人に1人ががんで死ぬ計算だ。

 ならばと思う。誰しも身近な人をがんで亡くした経験があるだろう。その人を思い出す度に、もっと何かしてあげていたら? もっと良い治療法があったのではないか? などと考えてしまわないだろうか。本当は、もっと、その人との人生の楽しかった場面を思い出せればいいのだが。

 私も大学生のときに伯母をがんで失っている。同居していた家族だったので、悲しみも大きかった。私は、週に一日、大学の授業を休んで、伯母を車で病院まで送っていた。化学療法や放射線治療の甲斐なく、伯母が、日に日に弱っていくのがわかり、医学の限界を感じた。大人になってから、今度は従妹が子宮頸がんで亡くなった。まだ30歳の若さで、幼子を残して天に召された。

 そんなわけで、少々、複雑な心境で本書を読み始めたのだが、すぐに光免疫療法の仕組みの虜になってしまった。標的であるがんに直接、微小な「ダイナマイト」を仕掛けて、後はスイッチを押して爆破する。それだけなのだ。

 一日半で一気に読んでしまったが、「がん細胞だけを狙って殺す」「何度でも治療できる」「9割のがんをカバーする」という光免疫療法のメリットがスッと頭に入ってきた。

 光免疫療法だけでなく、いわゆる標準治療と呼ばれる「外科手術」、「放射線療法」、「化学療法」、そして、本庶佑先生のオプジーボで有名な「がん免疫療法」についても、それぞれ要点がまとめられていて、知識の整理に役立つ。また、「抗体」、「抗原」、「T細胞」といったキーワードも、高校生物基礎と銘打って、懇切丁寧に説明されている。

 科学や医学の発見には、偶然がつきものだと言われるが、「がん細胞がぷちぷち壊れる」という光免疫療法の発見も、やはり偶然だった。もともと治療法を研究していたわけではなく、がん細胞の表面にくっつく物質を使って、がん細胞だけを「光らせる」研究をしていたら、あまりよく光らずにがん細胞が壊れてしまった。光らせるのが目的であれば、たしかに実験は失敗だ。しかし、天才は、常に常人とは違った世界を見ている。小林先生の目には、実験の失敗ではなく、新たながん治療法の未来が見えていた。

 小林先生が、治療の実用化に向けて、さまざまな壁にぶち当たっていたとき、楽天の三木谷浩史氏と出会った。三木谷氏は父親ががんの闘病生活を送っていて、最新の治療法を探していたのだ。

「おもしろくねえほど簡単だな」

 初対面の席で三木谷氏の脳裏をよぎった言葉だ。しかし、科学や医学においては、シンプルなアイディアが革命を起こすことは多い。ニュートンの重力法則もそうだし、コペルニクスの地動説もそうだし、ジェンナーのワクチンだってそうだ。画期的なアイディアは、みなシンプルで美しい。

 そもそも科学や医学は、ゆるやかな坂を登るように発展する「通常期の科学」と、世界の常識を塗り替える「革命期の科学」に分かれる。光免疫療法は、明らかに後者、すなわち科学革命と言っていい。あらゆる科学革命の共通点は「シンプルさ」にある。前の時代のパラダイムでは対応しきれなくなり、どんどん理論や実験や(医学の場合であれば)治療法が複雑化してゆく。そんなとき、忽然と天才が現れ、一気に新しい時代を切り開く。もちろん、孤高の天才が一人でパラダイムシフトを起こせるわけではない。天才の周囲には、自然と、天才を応援するチームが生まれるのだ。

 小林先生の人となりがわかる「伝記」の部分も読み応えがある。やはり、科学書の醍醐味は、天才科学者の人生エピソードである(ミーハーですみません)。小林先生の場合は、特に灘高において「化学の鬼」の異名を取った話が面白かった。また、臨床の現場に身を置き過ぎて、研究生活の開始が遅れたことや、異常な集中力で論文を仕上げていく姿など、とても興味深く読ませてもらった。

 iPS細胞の発見でノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥先生への取材も面白い。iPS細胞から免疫細胞を作り、「光免疫療法とiPS細胞の再生医療を組み合わせれば、治療の効果をさらに上げることもできるんじゃないか」と提案する山中先生に対して、「iPS細胞のがん化を防ぐために光免疫療法を利用することもできるんじゃないか」と返す小林先生。一流の科学者(医学者)同士の交流が、新たな「化学反応」を生むのではないかと期待が高まる。

 人類が、がんを克服する日も近い。本書を読んで、そう確信した。

新潮社 波
2023年9月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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