『ともぐい』
書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます
【聞きたい。】河﨑秋子さん 『ともぐい』
[レビュアー] 寺田理恵(産経新聞社)
■巨大なヒグマと人間の戦い
北海道の風土に根差した小説で高い評価を受けてきた。本書では、明治後期の北海道東部を舞台に、獣のように暮らす男と巨大なヒグマの命のやりとりを描いた。
「武器を持っていない人間では圧倒的にかなわない大きな生き物がいて、それが悪意を持ったからには人間としては絶対的にどうにかしなければいけない。そういう現実を書きたいと思いまして」
山で独り鹿や熊を狩る猟師の熊爪(くまづめ)は、ある日、雪の残る山中で血まみれの男を見つける。冬眠せず集落を襲い続けた熊を追ってきたという。挑発行動をとるその熊を、熊爪は「俺の山に在らしめてはならない」と決意。雄の熊同士の戦いに絡んで負傷し後遺症を抱えるが、狩らずに生きるより山に君臨しつつある別の熊との対決へ自らを追い込む。
日露戦争前夜、ニシン漁と炭鉱開発に沸く町の人々が対比的に描かれ、大自然の静けさと獣の力強さが際立つ。
熊爪が「どれだけの盗み食いを許した(中略)人里に近づきすぎた熊は早めに始末せねばならなかった」と心中で語る状況は現実にある。
昨年は各地で熊が人里に出没し、道東で66頭もの牛を襲った体重300キロ超の熊「OSO18」が射殺されるなど熊による被害が問題に。本書刊行と重なったのは偶然だが、「歴史をひもとくと、熊の個体差のゆらぎの範囲で人間にとって悪辣(あくらつ)な個体がいたのを思い出しながら書いていた」。
ただ、熊は個体差が大きいという。本書の舞台に近い別海町の実家にいたとき、熊は「200メートル先の道路を横断していた。普通にいました」。ふん、足跡、爪痕…気配はあるが、「ここ十何年は被害が出ていない。人間的な見方では、わきまえてくれている熊」。
熊爪の山は自身が実習をした羊牧場を少しモデルにした。「生まれ育ったところは情景が書きやすい。冬の寒さですとか、山に入るとどういう植物が生えているかとか」。
熊爪が五感で捉える森の葉擦れや、仕留めたばかりの鹿の肝臓の甘さ。縄張りを争う2頭の雄熊のうなりと血しぶき。情景を読む喜びが味わえる。(新潮社・1925円)
寺田理恵
◇
【プロフィル】河崎秋子
かわさき・あきこ 作家。昭和54年、北海道生まれ。北海学園大を卒業後、ニュージーランドで羊の飼育を学ぶ。酪農を営む実家の従業員と羊飼いをしながら小説の執筆を始め、新田次郎文学賞など受賞歴多数。本書で2度目の直木賞候補に。