『続きと始まり』
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泡のように浮かぶ意識に付箋を貼る。「時間と記憶」を見つめる長編小説
[レビュアー] 大竹昭子(作家)
人は時計が刻むのとは別の方法で時間を感覚している。それは記憶と関係しているようだ。これまでの作品でもそのことに関心を寄せてきた柴崎友香は、本作では時期を区切って時間と記憶の関係を探っていく。
取り上げられるのは、まもなくコロナ感染が野火のように広がる二〇二〇年三月から緊張が緩和される二〇二二年二月までだ。それまでの日常が宙づりされた期間に、東日本大震災、阪神・淡路大震災、アメリカ同時多発テロなど、かつて起きた「大きな出来事」が登場人物の意識にのぼり、個人的な「小さな出来事」を思い起こす。私たちの等身大の日常を、意識の働きにそって記述しようとする試みだ。
東京から地元関西に戻って大学時代の男友達と再会し結婚、出産した石原優子。たまたま知り合った女性を生活の相手として受け入れて家庭を営む子育中の調理師、小坂圭太郎。フリーで雑誌の仕事をしながら写真館でポートレート撮影もしている独身のカメラマン、柳本れい。
空間は東京と関西に跨がり、世代は三、四十代。皆そこそこの暮らしをしているが、社会的成功とは無縁で、日々泡のように浮かんでは消える疑問を心に留めつつ生きている。
タイトルの『続きと始まり』はポーランドのノーベル賞詩人シンボルスカの『終わりと始まり』から来ている。柳本れいは撮影に出向いたトークイベントで彼女の詩集に出会い購入する。久しぶりに読み返すと思わぬ箇所に付箋が貼ってある。なぜ貼ったか解らない。ここに貼りたいと思った気持ちはどこに行ってしまったのか。
その気持ちはふだんは無意識の領域に沈み、別の何かに出会う偶然によってふいに心の内に蘇ってくる。予想はつかない。そうした触媒作用をもった事柄を「出来事」と呼ぶならば、本作は記憶を喚起する標識にみちた「出来事集」と言える。大きな出来事が一つも起きずとも!