家庭を壊し孤独を選んだのに、恋に落ちた女性に救いを求めることも…未解決事件に人生を捧げた捜査官の記録

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異常殺人

『異常殺人』

著者
ポール・ホールズ [著]/ロビン・ギャビー・フィッシャー [著]/濱野 大道 [訳]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784105073916
発売日
2024/01/17
価格
2,860円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

執念の捜査官の顔と、繊細な心を持つ男性の顔

[レビュアー] 村井理子(翻訳家/エッセイスト)


メディア出演も多い科学捜査官、ポール・ホールズ氏(撮影Steve Babuljak)

 十数人が殺害され、50人以上の女性が性的暴行にあった事件の捜査を明かした一冊『異常殺人―科学捜査官が追い詰めたシリアルキラーたち―』(新潮社)が刊行された。

 アメリカ史上最大の被害を出したシリアルキラー「黄金州の殺人鬼」の正体を突き止めたポール・ホールズによる本作について、翻訳家でエッセイストの村井理子さんが読みどころを語る。

何万人もの素人探偵たち

 アメリカにはコールド・ケース(未解決事件)を専門に扱う番組やポッドキャスト(インターネットラジオ)が多数存在する。そのジャンルの人気の高さが窺えるが、なにより驚くのは、未解決事件に関するコンテンツを熱心に視聴する人々の多くは、何万人も存在すると推定される素人探偵、あるいはインターネット探偵と呼ばれる民間人ボランティアであり、日々、未解決事件の犯人を追跡しているという事実だ。彼らはインターネット上の掲示板に集結し、活発に情報交換を行い、日夜、独自の調査を繰り広げている。発生する殺人事件の三分の一が未解決となるアメリカで、犯人を追跡するのは法執行機関の捜査官だけではない。警察OBや未解決事件専門ライター、そしてインターネット探偵といった人々の地道な努力によって、過去の多くの未解決事件が解決へと導かれているのである。

 そんな民間人ボランティアの間で人気の元科学捜査官であり、未解決事件専門家が、本書を記したポール・ホールズである。彼を一躍有名にしたのは、「黄金州の殺人鬼(The Golden State Killer)」と呼ばれる凶悪犯ジョセフ・ジェイムズ・ディアンジェロの逮捕にDNA情報を用いることで寄与した実績だった。1970年代から80年代にかけて、カリフォルニア州を恐怖に陥れた連続殺人鬼ディアンジェロは、明らかになっているだけで13人を殺害、50人以上を性的暴行し、100件以上の強盗に関わったとされる。多くの証拠を残しながらも、その行方は30年以上も判明せず、一連の事件は迷宮入りしたと判断され、多くの被害者たちを酷いトラウマで長年にわたって苦しめ続けていた。世間から忘れ去られたこの事件を掘り起こし、捜査し続けたのがホールズだったのだ。ディアンジェロ逮捕の大ニュースは全米を揺るがし、ホールズが一躍、スター捜査官として有名となるきっかけとなった。ディアンジェロ逮捕の少し前に、保安官事務所を退職し、未解決事件専門家となったホールズは、数多くの未解決事件専門テレビ番組やポッドキャストに出演し続け、講演会で全米を飛び回っている。民間人となった今もなお事件捜査に関わり、八面六臂の活躍を続けている。

ホールズ科学捜査官の魅力

 本書の魅力は、実際に起きた事件における科学捜査の詳細が記されている点にある。科学捜査を題材としたテレビドラマは長年にわたって多くのファンを惹きつけてやまないが、凶悪な未解決事件を追い続けた元捜査官によって綴られた書は、そう多くはない。科学捜査に興味があるなら、多くの情報を得ることができるだろう。また、凄惨な事件現場の描写や、実際に発生した事件の内容は、あまりにもリアルで恐ろしく、背筋が凍るほどだ。特に、生まれながらのサディストと呼ばれた黄金州の殺人鬼の犯行内容は、あまりに凶悪で、一度読めば記憶からなかなか消し去ることができない。それでも、窓や玄関の鍵を必ず確認するという習慣を読み手に定着させる程度の影響力はある。冷静沈着に、淡々と綴るホールズの捜査官としての強靱さを体感できる。

 しかしホールズの魅力は、犯人をとことん追いつめる執念の捜査官の顔と、傷つきやすく、繊細な心を持つ一人の男性の顔が同居するところにある。無数のハエが覆う腐乱死体や、血液が大量に飛び散る凄惨な事件現場にも怯まず、表情ひとつ変えずに分析を行うホールズが、一方で、家に戻ればパニック発作に苦しみ、悪夢に苛まれるのだ。事件に没頭するあまり家庭を壊し、孤独に生きることを選んだはずなのに、ふとしたきっかけで恋に落ちた女性に救いを求めてしまう。そんなホールズの一面も、本書の魅力のひとつだ。

 ホールズの繊細さをよく表しているのが、彼が「相棒」と呼び、数年にわたって情報交換を続けてきたノンフィクションライターの故ミシェル・マクナマラについて記した章だろう。マクナマラはホールズと同じく、黄金州の殺人鬼事件にこだわり、何年もかけてその犯人を追い続けていた。同じ犯人を追った二人は、ジャーナリストと現役の科学捜査官として出会ったのだ。しかしマクナマラは、犯人逮捕を目撃することなく不慮の事故でこの世を去った。ホールズは多くのページを割いて、彼女の思い出と喪失の痛みを綴っている。黄金州の殺人鬼逮捕という目標に向かって、ひたむきなまでに突き進んでいた二人の結束の固さが伝わってくる。マクナマラの死後に出版され、彼女の遺作となった『黄金州の殺人鬼―凶悪犯を追いつめた執念の捜査録』(亜紀書房)に記された、彼女のホールズへの感謝と敬愛の念に応えるかのような筆致から、ホールズの抱える痛みが伝わってくる。

 ホールズがインターネット探偵たちに絶大な人気を誇っている理由は、彼が優秀な捜査官だという事実だけではない。ソーシャル・メディアを駆使するホールズは、セルフブランディングまで巧みだ。妻を、子どもを、そしてペットの大型犬を愛するホールズは、ファンとの交流にも気さくに応じる、新しいタイプのスター捜査官なのだ。

新潮社 波
2024年2月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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