傑作SFの底流に普遍のテーマ 人と人造人間を何が分けるのか
[レビュアー] 吉川美代子(アナウンサー・京都産業大学客員教授)
酸性雨が降りしきる中、死期を迎えたレプリカント(人造人間)がつぶやく。
「俺はお前たち人間には信じられないようなものを見てきた。オリオン座の近くで燃える宇宙戦艦。タンホイザー・ゲートで揺らめくオーロラ。そんな思い出も時と共に消える。雨の中の涙のように。死ぬ時が来た……」。SF映画の傑作『ブレードランナー』の名台詞だ(劇場版、DVD、TV版などで訳は若干違う)。死にゆくレプリカント役のルトガー・ハウアーはもちろん、それを呆然と見つめる主人公デッカード役のハリソン・フォードの表情も忘れがたい。
映画と原作では人物設定やストーリーがかなり違う。特に違う点は、原作の高知能アンドロイドには人間らしい感情や共感力がなく、映画のレプリカントには涙を流す心があるということ。だが、人間とは何か、人間性とは何か、というテーマは変わらない。生成AI技術が急速に発展している昨今、このテーマは一層身近に感じられる。
核戦争で汚染された地球から他の惑星に移住する人間にはアンドロイドが無償貸与される。が、奴隷としての扱いを嫌がり、人間を殺して地球へ逃げてくるアンドロイドが後を絶たなかった。逃亡アンドロイドを処分=殺すのが、警察所属の賞金稼ぎ(映画ではブレードランナーと呼ばれる)であるデッカードの仕事だ。多くの生物が絶滅した地球では生きた動物は高価なので、彼は代わりに電気羊を飼っている。本物の動物を手に入れるため、彼は莫大な懸賞金がかけられた最新型アンドロイドを追う……。
映画の世界は原作よりダークな印象だ。荒廃した都市のモデルとなったのは70年代の新宿歌舞伎町や香港の雑踏。絶えない酸性雨に濡れた舗道。屋台が並び、人々がひしめく路地。廃墟となったビル群を背景に毒々しく輝く日本語の大きな看板やネオンサイン。暗く退廃的な未来都市の映像美は、後のSF映画に大きな影響を与えた。
公開から35年後に製作された『ブレードランナー2049』は後日譚。やや期待はずれだった。続編など作らず、謎と余韻はそのままにしておいてほしかった。