【聞きたい。】萱野稔人さん 『リベラリズムの終わりその限界と未来』

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リベラリズムの終わり その限界と未来

『リベラリズムの終わり その限界と未来』

著者
萱野稔人 [著]
出版社
幻冬舎
ISBN
9784344985759
発売日
2019/11/28
価格
924円(税込)

【聞きたい。】萱野稔人さん 『リベラリズムの終わりその限界と未来』

[文] 桑原聡(産経新聞社 文化部編集委員)

 ■現代社会で直面する機能不全


萱野稔人さん

 世界中でリベラル派と呼ばれる人々への不信感が強まっている。正義や理想を口にしながら、他人に厳しく自分に甘い二重基準、社会の富(パイ)が縮小しつつあるにもかかわらず、弱者救済のためにパイの手厚い分配を訴える欺瞞(ぎまん)性などに嫌気がさした結果だ。

 リベラル派と、彼らが依拠するリベラリズムは分けて考えるべきだとの主張がなされるが、萱野さんは、リベラリズムという原理そのものが、現代社会において何らかの機能不全や限界に直面していると考える。

 リベラリズムとは、フェアネス(公平さ、公正さ)の重視、個人の自由の尊重を基本とし、社会の富を弱者のために分配をしようとする思想といえる。

 「リベラリズムが普遍的な価値を持っていることは確かですが、その原理だけで社会が成立するわけではありません」と萱野さんは指摘する。

 たとえば、同性婚を認めるのであれば、同じ理屈で一夫多妻婚を認めてしかるべきだが、現実にはそうはならない。そこには別の原理が働いている。また、パイの分配については、限りある資源をどう使えば、もっともその効用が高まるかと考える功利主義や、各人は何らかの形で社会の分業体制を担っているのだから助け合うべきだというメンバーシップの論理が、現実には大きく作用している。

 「リベラル派は、リベラリズムによってパイの分配が正当化できると思い込んでいます。しかし、パイの手厚い分配は、パイが潤沢なときにしか成り立たない。リベラル派は、リベラリズムの限界を見定めて、その普遍的価値、つまりフェアネスの重視、個人の自由の尊重を、現実の社会の中でどう生かしてゆくか考え抜くべきです。そのカギは、他者への批判の基準がそっくりそのまま自分を縛るものでなくてはいけないという、リベラリズムが生んだ《反転可能性》という考え方にあるように私は思います」(幻冬舎新書・840円+税)

 桑原聡

   ◇

【プロフィル】萱野稔人

 かやの・としひと 昭和45年、愛知県生まれ。パリ第十大大学院哲学科博士課程修了。津田塾大教授。著書に『国家とはなにか』『死刑 その哲学的考察』など。

産経新聞
2020年1月12日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

産経新聞社

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