大澤真幸は『マルクス最後の旅』で示された仮説こそ、われわれの求める「21世紀の資本論」だと考える

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マルクス最後の旅

『マルクス最後の旅』

著者
ハンス ユルゲン クリスマンスキ [著]/猪股 和夫 [訳]
出版社
太田出版
ジャンル
文学/外国文学、その他
ISBN
9784778315252
発売日
2016/06/17
価格
2,640円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

大澤真幸は『マルクス最後の旅』で示された仮説こそ、われわれの求める「21世紀の資本論」だと考える

[レビュアー] 大澤真幸(社会学者)

大澤真幸
大澤真幸

 カール・マルクスの『資本論』は、フランス革命から今日までの二世紀強の期間に出された人文・社会系の著書の中で、最も重要な本である。これに並ぶ著作を自然科学の領域に探せば、ダーウィンの『種の起源』とアインシュタインの論文しかない。しかし、『資本論』でマルクスの生前に刊行できたのは、第1巻だけであった。第2巻・第3巻は、盟友のエンゲルスが遺稿を整理・編集して、マルクスの死後に出された。現在われわれが読むことができる『資本論』は、マルクスが意図した通りに構成されているわけではなく、完成してもいない。
 さて、本書『マルクス最後の旅』は、ドイツの社会学者ハンス・ユルゲン・クリスマンスキが、マルクスの最晩年の小さな旅を素材として書いた短い小説である。つまりフィクションだ。しかし、マルクスが死ぬ一年ほど前に、本作に描かれた通りの行程で旅をしたのは事実である。療養のためだったと思われる。
 すでに一年前に妻を亡くして衰弱していたマルクスが、娘たち夫婦等家族と別れ、パリを発ったのが、1882年2月。マルセイユを経て、まずアルジェに滞在した。このとき、生涯で初めて、マルクスはヨーロッパの外に出た。その後、カンヌやモンテカルロ等、各地を転々とし、ロンドンの自宅に戻ったのは9月末。そのおよそ半年後にマルクスは没した。享年64。
 この小説は、しかし、人類史上屈指の偉大な思想家の晩年を感傷的に描いているだけではない。小説という形式を通じて、クリスマンスキは、思想史的に重大な意味をもつ、大胆な仮説を暗示している。
 この小説の中で、マルクスは、ひとつのことについて始終考え、草稿のようなものを書いている。旅先で刺激を受けながら、カジノ資本主義や株式投機についての理論を構築しようとしているのだ。現実にも、このように解釈しうるメモや抜き書きが、マルクスの遺稿の中にある。
 つまり、この小説は、『資本論』の続巻には、株式投機にもとづく資本主義の理論が組み込まれるはずだった、と示唆しているのだ。なぜこの仮説が重要なのか。
 マルクスは、『資本論』で、なぜ剰余価値が生じ、資本という現象が出現するのかを説明した。しかし労働価値説にもとづくこの理論では、カジノ資本主義のような投機をベースにした資本主義を説明できないとされている。これが、マルクスの理論の限界だ、と。
 しかし、もしマルクスが、『資本論』の中で、カジノ資本主義的な現象をも説明すると構想をもっていたとすればどうなるのか。マルクスは、体系にこだわる人で、「付け足し」的に議論を膨らませたりはしない。一つの論理の筋の中に理論を収めようとする。つまり、労働価値説をベースにおいた資本増殖の基礎的なメカニズムと、そこから転回したカジノ資本主義とが、統一的な論理の中で一貫して説明できる見通しをマルクスはもっていた、ということになる。これこそ、資本主義の真の総合理論であり、われわれが求める「21世紀の資本論」ではないだろうか。

太田出版 ケトル
VOL.33 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

太田出版

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