ライバル紫式部の視点との交錯

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枕草子のたくらみ

『枕草子のたくらみ』

著者
山本淳子 [著]
出版社
朝日新聞出版
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784022630575
発売日
2017/04/10
価格
1,650円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

ライバル紫式部の視点との交錯

[レビュアー] 平山周吉(雑文家)

 はるか一千年前の平安朝女流文学の世界を、これほど生き生きと、面白く再現できる学者というのも珍しいのではないだろうか。「女流作家」(死語?)にもなれそうな達者な筆運びと、あくまでも史料に即した手堅さを両立させ、宮中奥深くに棲息する才女たちの「みやび」な心に分け入っていく。それだけではない。「枕草子」という高名だが、とりとめない随筆集から、純愛と鎮魂のドラマを紡ぎ出すのである。

 著者の山本淳子はすでにサントリー学芸賞を受賞し、林真理子との「源氏物語」対談本もあり、紫式部を一人称にした本まで出している人のようだ。『枕草子のたくらみ』は、紫式部のライバル清少納言の心理の隅々までを解き明かし、清少納言が著者に乗り移ったかの如き感がある。著者は「史実を背景として読む」、「当事者の目になって読む」という方法で、「枕草子」という残欠から、王朝絵巻の全体を復元していく。

「枕草子」の時代はさいわい、藤原道長の「御堂関白記」をはじめ、「小右記」「権記」などの日記が残っている。王朝女流歌人の全盛期である。歴史物語の舞台でもある。著者は前著『源氏物語の時代』で、たとえば「大鏡」についてこんな評価を下す。「現代の男性総合雑誌にも似て、政治の話題を裏話や人物像からとらえるのがお得意です。本質は物語なので誇張や演出も多く盛り込まれ、読者を楽しませてくれます」と。史料の性格も考慮に入れた上なら、ビビッドな人物像を造形することに躊躇はない。タイトルの「たくらみ」だけでなく、「武器」「サバイバル」といった戦闘用語がよく出てくる。それは「キサキたちが居並ぶ後宮は、そのまま政治の戦いの最前線であった」という著者の認識の反映である。清少納言は「過酷な状況」に置かれたにもかかわらず、明るさの演出を心がけた。その所産が「枕草子」であった――。

 推定年齢二十八歳、宮仕え未経験、バツイチ、くせっ毛の清少納言は御年十七歳の中宮定子(ちゅうぐうていし)に仕えることになった。一条天皇から寵愛を受ける定子は深窓のお姫様というより、積極的な性格だ。こっちに来なさいと親しく声をかけ、新入りの「女房」清少納言に「機知のレッスン」をほどこす。いかに当意即妙な受け答えや歌のやりとりをするか。知性と教養と自己主張を兼ね備えた最先端の後宮文化のリーダー、それが定子だった。

 後宮の女官である「女房」は、不特定多数の男たちに顔をさらす仕事である。その時代としては例外的な存在だ。注目度も高い。誘惑も多い。清少納言も何人かの男とつきあった。「モテ女子」だった。それでも「枕草子」では、自身はあくまでも脇役である。子まで生(な)した元夫の橘則光と内裏で再会するといったハプニングも起こる。元夫は「仕事で輝く元妻を誇りとする男」だった。元夫は身分こそ低いが知性も教養もあったことは史料から確認できる。それでも「枕草子」では道化役に割り当てられる。所詮、六位と女房という低い地位である。「『枕草子』の則光はただひたすらに滑稽で、清少納言は艶っぽさも湿っぽさも感じさせない」役割を演じるのが正しいのだ。

 順風満帆な定子後宮に暗雲が漂うのは、定子の父・藤原道隆の死だった。その後には、兄・藤原伊周の叛乱があり、定子の出家と続く。「わが世の春」は定子の叔父・藤原道長とその娘でやはり一条天皇の中宮となる彰子に移動する。ここからが「枕草子」の本領発揮と著者の力瘤がはいる。失意の定子を慰め、出産のため二十四歳で崩御した定子の霊を鎮魂し、定子の遺した第一皇子を守り立て、一条天皇の悲嘆を慰める。「悲劇の皇后から理想の皇后へと、世が内心で欲しているように、定子の記憶を塗り替える。定子は不幸などではなく、もちろん誰からも迫害されてなどおらず、いつも雅びを忘れず幸福に笑っていたと」。

 その清少納言の「たくらみ」に気づいていたのがライバル紫式部だったと著者は見る。「紫式部日記」での清少納言の評価は、「したり顔」の女である。中宮彰子に仕える女房だった紫式部は、中宮定子と清少納言が蒙った「過酷な事情」の真犯人が藤原道長であることがよくわかっていた。「枕草子」に描かれる定子の後宮は、ただ一箇所を除いて、幸福に満ち、笑いに溢れる姿ばかりである。「枕草子」の「をかし」とは、「あはれ」を押し隠した笑いなのだと。「政治」と「権力」の渦中で蠢き、翻弄される人間たちを見つめる二人の女流の視点を、著者はここで交錯させるのである。

 本書の終章は「枕草子」には出てこないエピソードで始まっている。定子は死の床で何首かの和歌を詠んでいた。そのうちの一首「知る人も なき別れ路(ぢ)に 今はとて 心細くも 急ぎたつかな」は「後拾遺和歌集」に載る哀傷歌である。この歌によく似た歌が「源氏物語」にあるというのだ。「限りとて 別るる道の 悲しきに いかまほしきは 命なりけり」。「桐壺」巻で、桐壺更衣(きりつぼのこうい)の詠む辞世である。「別るる道」と「別れ路」は羈旅歌ではよく使われるが、「辞世となると、平安和歌ではこの二首しか私には見つけられていない。紫式部は桐壺更衣の物語中ただ一つの肉声に、定子の和歌を響かせたのだ」。

 紫式部は定子の歌に心を激しく動かされ、「桐壺」巻を創作した。ここにいたって、著者の本書での「たくらみ」が浮び上がる。紫式部への対抗である。「摂関政治における愛と政治の矛盾の物語」を「枕草子」から甦らし、もうひとつの「桐壺」巻を紡ぎ出すという大胆な「たくらみ」である。

新潮社 新潮45
2017年7月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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