詩人と作家が夫婦として過ごした22年

レビュー

9
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夫・車谷長吉

『夫・車谷長吉』

著者
高橋 順子 [著]
出版社
文藝春秋
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784163906478
発売日
2017/05/12
価格
1,728円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

詩人と作家が夫婦として過ごした22年

[レビュアー] 佐久間文子(文芸ジャーナリスト)

 妻四十九歳。夫四十八歳。遅い結婚をした二人の関係は、雑誌に掲載された著者の詩を読んだ車谷が、知人にファンレターの絵手紙を託したことで始まった。

 ラブレターというより自身の荒涼とした内面を一字一字、紙に刻み付けたような便りをまだ見ぬ人から十一通も送られ、著者が困惑したことは想像に難くない。常識人ならそれ以上、関係が深まりそうにない出会いが結婚にまでつながったのはおそらく著者が詩を書く人だからで、彼女の詩に強くうたれた、という車谷の率直な共鳴が、アプローチの奇矯さとともに心をとらえたのだろう。

 車谷は、著者がひとりで営む小さな版元から小説集を自費出版したいと願い、作品を送った。今度は著者がうたれる番で、すぐに感動を伝える。三十代で一度、芥川賞の候補になるが、その後は低迷期にあり、「自分を生き返らせてくれるものを、その日その日、渇望してい」た車谷は、自身の心をゆり動かした詩の作者に向かって作品を書き始める。「死の時間」を歩んでいたはずの作家は、そうして「生の時間」に戻ってきた。

 その後、車谷は「鹽壺の匙」で三島賞などを受賞、一九九三年に著者と結婚した後は、長篇「赤目四十八瀧心中未遂」で直木賞を受賞し、受賞作は映画にもなる。だがしかし、それでめでたしめでたし、とはならない。なぜなら車谷は病気と縁が切れず、なかでも結婚後に発症した強迫神経症は病的な潔癖さを招いて、著者の行動も厳しく制限したからだ。新婚家庭はじきに「修羅の家になった」。

 さらに、筆禍事件もあった。自身を切り刻んで書く私小説作家は、その刃を周囲の人にもふり向ける。隣家の主人を小説の中で殺してしまうのはまだましな方で、自身の親戚、無二の親友、妻の友人や大切な人をも切り刻み、形をゆがめて小説の中に登場させる。二〇〇四年、ついに名誉棄損で二人から訴えられ、「私小説作家廃業宣言」を書くにいたるが、そのことを著者は「あのまま『待った』がかからなかったら、どんな惨劇が起きていたか」と冷静に振り返る。

 芥川賞を落選した時、選考委員に「丑の刻参り」をした、という有名なエピソードも事実ではなかったらしい。自分が狂うさまを描いた妻の詩集『時の雨』の原稿を読み、車谷は「正確に理解していてくれて驚いた」と言ったそうだが、一家に表現者が二人いて大丈夫かと周囲から危ぶまれた結婚は、むしろ妻も表現者だからこそまっとうできたのだろう。

 夫からの絵手紙、旅先から夫へ送ったファックス、日記、何よりもそれぞれの作品。二人がもっとも大切にした「書かれたもの」を軸にして、濃密で、かけがえのないこの二十二年を、慈しみを込めて振り返る。

新潮社 新潮45
2017年7月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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