東大憲法学への異議申し立て

レビュー

3
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ほんとうの憲法

『ほんとうの憲法』

著者
篠田 英朗 [著]
出版社
筑摩書房
ジャンル
社会科学/法律
ISBN
9784480069788
発売日
2017/07/05
価格
929円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

東大憲法学への異議申し立て

[レビュアー] 平山周吉(雑文家)

『ほんとうの憲法』とは、穏やかならざるタイトルである。サブタイトルは「戦後日本憲法学批判」とさらに剣呑である。戦後体制の守護神として、日本国憲法を奉戴し、その「解釈権」を護持してきた東大法学部憲法学への異議申し立てなのだから。相手は論理とレトリックの駆使には長けた秀才頭脳集団であり、その配下には多数の司法試験、公務員試験合格者が揃っている。多勢に無勢を承知しての、刺激的な挑発の書である。

 数年前の国会で、安倍晋三は「芦部信喜」の名を知らなくて、恥をかかせられたことがあった。本書の「はじめに」で触れられるエピソードである。憲法改正をライフワークとする首相は、累計百万部を超える憲法学の代表的教科書の著者で、東大法学部憲法学を代表した教授の名を知らなかった。安倍が出た成蹊大学法学部は東大法学部の「植民地」であるが、宗主国の事情に疎い、半可通ぶりが浮き彫りになった。

 安倍の祖父・岸信介は東京帝大法学部の銀時計組で、恩師の上杉慎吉教授から、大学に残り、上杉憲法学の後継者となるように懇願された秀才だった。上杉の論敵が、東大憲法学の主流派を形成する美濃部達吉であった。「天皇親政説」の上杉は「天皇機関説」の美濃部によって少数派に転落させられた。美濃部の後継者である宮沢俊義は岸信介の同世代である。宮沢は「八月革命説」によって、新憲法の正統性を権威づけ、芦部信喜をはじめとする後継者を育てた。美濃部―宮沢―芦部という東大憲法学の系譜は、安保法制論議以来、テレビで顔と名前がお馴染みになった長谷部恭男と木村草太へと続くことになる。

 本書の冒頭で、著者の篠田英朗は、この二人のスター教授を槍玉にあげる。彼らの発言に、「憲法学者とその弟子たちが、国政のあり方を決める」という傲慢を看取する。「抵抗の憲法学」というドクトリンは、権力の横暴を監視する正義派気取りだ。この二人のスター批判は本書の眼目ではない。読売・吉野作造賞をさきごろ受賞した篠田の前著『集団的自衛権の思想史』で、その言論の変説(変節)も含めてすでに批判しているからだ。『ほんとうの憲法』は、憲法史をさかのぼることによって、東大法学部憲法学をさらに追いつめようとしている。

「日本国憲法をよりよく理解するためには、実は19世紀以降の日本の近代国家建設の歴史、そして国際社会の歴史の流れを確認しておくことが必要になる」。この一見、迂遠な道が憲法への見方を変えていく。近代日本はペリーの「黒船」の衝撃から始まった。その時からアメリカという「隣国」の巨大な影は否応なくあった。近代国家として一人前になるために必須だった明治憲法を制定する時期、アメリカは南北戦争の後始末で手一杯だった。その時、伊藤博文が手本としたのはプロイセン流の憲法であり、学者たちはドイツへと留学し、ドイツ憲法学の強い影響下で日本の憲法学は確立されていった。その後遺症は戦後にまで残る。

 新憲法がアメリカの圧倒的な影響下で作られたにもかかわらず、憲法学は相変わらずドイツを中心とする大陸法によって解釈された。それが戦後の憲法学だったという。英文を解釈するのに、わざわざドイツ語の辞書を持ち出してくるような伝統芸の確立である。都合のいいことには、こうすれば新憲法の出自の不透明さは自然と隠蔽される。「押しつけ憲法論」という対抗勢力を撥ねつけることもできる。東大法学部で英米法の教授だった高柳賢三は、憲法案を「これは英米法的な憲法だな」と思い、「大陸法的な頭の日本法律家が妥当な解釈をするまでには相当混乱が起こるだろう」と懸念した。予想はあたり、混乱はずっと続いている。

 美濃部達吉の「天皇機関説」が血祭りにあげられたのは昭和十年(一九三五)だった。敗戦までの十年間は東大憲法学の苦難の時代だった。その時、美濃部の後任になっていたのが宮沢だった。宮沢は大学の講義を用心深くこなして右翼からの攻撃を避け、時代に媚態を示す人並みの言論も残した。宮沢がただ者でなかったのは、負の十年間を取り戻し、新憲法を担ぐ「八月革命説」をいち早く公表したことだ。ポツダム宣言受諾の時点で日本は「天皇主権」から「国民主権」に早変わりしたという「物語」の導入である。憲法制定権力である「国民主権」を正当化し、「憲法起草者であるアメリカの影を覆い隠す」ことに成功する。講和条約時には、「顕教」憲法9条とセットである「密教」日米安保を議論の脇に追いやり、アメリカはさらに消去された。

 護憲の牙城である東大憲法学の協力を得られなければ、既成の体制を揺さぶることは難易度が高くなるばかりである。東大憲法学に対抗した京大憲法学の大石義雄も、東大法学部の傍流である国際法の横田喜三郎も、同じく英米法の高柳も、東大憲法学に挑んで斥けられた。東大憲法学は国連安保理に於ける常任理事国さながらに、憲法論議に「拒否権」を持つが如きである。

 現在の東大憲法学の中心教授である石川健治について、篠田は「憲法の自衛権の概念によって国連憲章を正すべきことすら示唆」したと指摘する。国際法を過小評価し、ロマン主義的に憲法9条を謳いあげる言説はいまだに続いているようなのだ。

 憲法賛美が日本人の敗戦コンプレックスの所産だとすると、その克服は絶望的に困難かもしれない。国際関係論と平和構築学の立場から書かれた篠田の好著を読みながら、不吉な未来が思いやられた。

新潮社 新潮45
2017年9月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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