「早すぎる人」が突きつけた問い

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「もう一つの日本」を求めて

『「もう一つの日本」を求めて』

著者
井上隆史 [著]
出版社
現代書館
ISBN
9784768410127
発売日
2018/02/15
価格
2,420円(税込)

「早すぎる人」が突きつけた問い

[レビュアー] 平山周吉(雑文家)

 三島由紀夫の「天才」をあらためて確認させてくれる本である。三島が早すぎた晩年に作家としての全精力を注ぎ込んだライフワークは、三島自決の日、一九七〇年(昭和四十五年)十一月二十五日に擱筆された。その『豊饒の海』四部作が世界文学の第一線にある小説として再評価される。三島文学の研究者である井上隆史白百合女子大教授は、現代書館の「いま読む!名著」シリーズの一冊として、『豊饒の海』にあらゆる角度から光をあてている。

 三島が死に際して遺したのは『豊饒の海』だけではなかった。市ヶ谷の自衛隊での「檄文」がある。新聞に書いたエッセイ「果たし得ていない約束――私の中の二十五年」も日本への「遺書」だった。その中で三島はこのままでは「日本」はなくなる。その代わりに、「無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国」が残ると予言した。小説家三島のみならず、行動者三島、文明批評家三島をも重視して、最晩年の三島由紀夫を手がかりに「もう一つの日本」を探すのが本書のあり方である。

 刺激的な『「もう一つの日本」を求めて』を読了した余韻が醒めぬうちに、続けて『豊饒の海』の第三部『暁の寺』をまず再読した。そんな変則的な読み方をしたのは、本書が『豊饒の海』を『暁の寺』から論じ始めるという奇手を使っているからだ。古典的完成度の高い第一部『春の雪』、第二部『奔馬』ではなく、失敗作と見做されることの多いのが『暁の寺』である。

 再読した『暁の寺』はほとんどが忘却のかなたで、インドの聖地ベナレスの、生と死が連続する荘厳たる描写ぐらいしか覚えていなかった。数えてみると四十八年前に、新刊書で読んだきりであった。三島はまだ健在で、連載中の第四部『天人五衰』を読むために、「新潮」を毎月買ってきた。まさか三島が自決するなどとは、予想も想像もしていなかった頃である。

 三島事件の後は、ことに最晩年の作品には血の匂いがつきまとうので、平静に読むことができなかった。その後遺症はいまだに完全には消えていない。井上隆史も本書で、三島の死の衝撃が「私たちの精神を呪縛してしまい、文学作品との自由な出会いを妨げ」ていると書いている。その障害を取り除く試みが、あえて『暁の寺』から入るという本書の方法である。『豊饒の海』全体を貫く「輪廻転生」についても、またその根底にある「唯識思想」についても、『暁の寺』がもっとも丁寧かつ詳細に記述されているからという判断からである。

『豊饒の海』全体の語り手の位置にいる弁護士の本多繁邦は、真珠湾攻撃での国内の昂奮を避けて、戦時下をずっと仏教の研究に没頭する。その研究の成果が小説のかなりのページ数を占める。それだけでも『暁の寺』がかなり異様な作品であることは明らかであろう。

 本多は敗戦間近の昭和二十年六月、東京の山の手空襲の焼趾に遭遇し、「破壊者は彼自身だったのだ」と気づき、「阿頼耶識(あらやしき)と染汚法(ぜんまほう)の同時更互(こうご)因果」を実体験する。それは「瞬間ごとに世界が死に絶えることと、瞬間ごとに世界が生み出されることとが同時に成り立つという時空論」である。戦時下に東大法科生だった現実の三島は、当時書いた詩と詩論で輪廻転生をテーマにし、「同時更互因果」という考え方の原型にすでに触れていたという。

 体得した思想の一端を、三島は『暁の寺』執筆中の東大全共闘との討論で披瀝する。学生たちに理解されるはずもないのだが、井上隆史はそこに、「同時代を生きつつ書き、書きつつ生きようとしていた」三島の姿を見ている。『豊饒の海』執筆の過程と、現実の三島の行動、挑発的な発言を照らし合わせる。『豊饒の海』はどんなラストシーンになるかが不定のうちに書き進められていた。完璧主義の三島らしからぬ、流動する、同時代を生きた作品であった。

『暁の寺』は戦時中の「第一部」と占領が終了した一九五二年の「第二部」に分裂している。その意味でも必ずしも成功していないと見られていた。井上隆史はむしろそこを積極的に評価する。昭和史が敗戦によって二つに分断されている以上、その「鏡」としての作品は事態を正確に反映しているのではないか。一九五二年とは、「五五年体制、および高度成長経済の開始に先立って、その前提を整えた年だと言えるが、本多はこれからやって来るはずの戦後の繁栄も活発な学生運動も、すべて偽りの虚像であることを、誰よりも早く、あらかじめ体現して」しまっていた。「早すぎる人」三島の悲劇は、欠伸をするしかない戦後日本を描いた『鏡子の家』が理解されなかった一九五九年の時点で始まっていた。

『暁の寺』第二部で本多は弁護士として大金を手にして悠々自適の生活に入る。

明治の地租改正で国有地に移管された山林の権利が、敗戦と新憲法によって返還され、本多は弁護士として莫大な成功報酬を労せずして手にしたからだ。この設定は島崎藤村の『夜明け前』と係わることを、三島の発言をもとに、本書では明らかにしている。昭和史のみならず、近代日本全体の矛盾に三島は射程を拡げていたのだった。

『豊饒の海』が三島なりの「文化防衛論」の実践であること、日本文学史総体への応答であることなど、重要な指摘は他にも多い。三島が「日本」へ突きつけた問いは色褪せていない。

新潮社 新潮45
2018年4月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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