苦悩する若き求道者の姿

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苦悩する若き求道者の姿

[レビュアー] 稲垣真澄(評論家)

 この三月六日は峯尾節堂の百回忌にあたった。節堂の亡くなったのは大正八年(一九一九年)三月六日で、死因は、当時世界的に大流行し、日本でも猛威をふるったスペイン風邪だったといわれる。享年三十三。場所は千葉監獄。それにしても、峯尾節堂とは一体だれか。

 明治四十三年、幸徳秋水、管野須賀子ら二十六人が起訴され、二十四人に死刑判決(うち十二人は翌日無期に減刑)が出た大逆事件(天皇暗殺の謀議)。今では社会主義、無政府共産主義の根絶を狙う国家による大フレームアップと見られている。しかし社会に及ぼした呪力は圧倒的で、つい先日(一月)も、和歌山県新宮市は同市出身の刑死者・大石誠之助を「名誉市民」に決めているが、それなども呪力が百年余も堅固に持続したことを、逆に証しているかもしれない。

 さて、起訴された二十六人中に三人の仏教僧のいたことも、案外知られていない。曹洞宗の内山愚童、真宗大谷派の高木顕明、そして臨済宗妙心寺派の峯尾節堂である。内山は死刑。高木は無期に減刑後、秋田監獄で自殺。ほかに僧侶ではないが、真宗寺院出身の佐々木道元(死刑から無期に減刑)もいる。当時の仏教者たちは、現在よりはもう少し社会と密接した地点にいたようだ。

 本書はその節堂の事跡に焦点を絞る。格別、仏教にこだわるわけではない。執拗な取材も百年の隔たりと、記憶まで消去しようとした特殊な呪力とに阻まれ、当然簡単ではない。言動、修行歴、交遊、家族・親族関係……。著者の取材過程を追うだけでも、大変だ。やがて薄紙が剥がれ、思わぬ点と点とが結びついて浮かび上がるのは、他人を教え導く強い宗教者像より、折れやすい魂を抱えて苦悩する若き求道者の姿である。つまり彼はごくふつうの青年で、逆にいえば、青年ならだれでも彼になりえたのだ。

 節堂は六人が連座し、うち二人が処刑されたいわゆる新宮グループ(現新宮市)に属する。大石の影響を受け、大石から謀議を打ち明けられ参加を約した――というのが国家の用意したストーリーだが、そのストーリーが肉付けされてゆく様子を、彼は獄中で記した「我懺悔の一節」に書き残している。田辺署での検事による威圧的な訊問がそれで、まさにストーリーが事実となる一瞬だ。そんな文書が残ったのは懺悔録として書かれたからで、同じ文書で彼は天皇の「恩命」を感謝し、かつて敬愛した大石を口汚く難じる。典獄(刑務官)らにすれば獄中教育の大成果で、尋問の場面などつい見逃してしまったのだろう。

 大石への呪詛に近い言葉は読む者を戸惑わせる。しかし人間の弱さの表れと見るなら痛々しい。禅僧ながら親鸞へ傾斜したのも、彼自身弱さを自覚していたためか。官憲もそれを見逃さなかった。

新潮社 新潮45
2018年4月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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