『「北の国から」異聞 黒板五郎 独占インタビュー!』
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視聴者が見守り続けた“黒板一家”20年の秘話
[レビュアー] 碓井広義(メディア文化評論家)
倉本聰脚本『北の国から』(フジテレビ系)の放送が始まったのは1981年。東京から故郷の北海道・富良野に2人の子供を連れて戻ってきた黒板五郎(田中邦衛)が、廃屋となっていた実家で暮らし始める。以来、『北の国から2002遺言』までの約20年、視聴者は黒板一家を遠い親戚か知人のように見守り続けた。
まず内容が重層的だった。家族の危機と再生の物語というだけでなく、仕事、子育て、高齢化社会、地域格差といった多様なテーマが盛り込まれていた。まさに“社会の合わせ鏡”としてのドラマだったのだ。
あれから16年。黒板五郎は生きていた。80歳を超えた今も富良野で独り暮らしだ。突然訪れた大新聞の論説委員が、五郎の近況と当時の話を聞きたいとお願いする。「でも、それってフィクションじゃん」と思う人が大半かもしれない。しかし東京から富良野に移住してきた倉本にとって、五郎はもう一人の自分だ。『北の国から』はドラマの形を借りた一種のノンフィクションであり、そこで描かれる人間の姿や社会の実相もリアルなものだった。
このインタビューには北海道の自然との格闘、純(吉岡秀隆)の恋人だったシュウ(宮沢りえ)との温泉混浴など、『北の国から』の秘話が満載だ。だが、それ以上に耳を傾けたいのは五郎が時折り語る体験的哲学だろう。五郎いわく、「“便利”ちゅうのはオイラの考えでは人間がサボルちゅうことだ。そいでサボリ代にいちいち金を払う。これが現代の文明社会だ」。またいわく、「知識と金で、前例にならってつくるのが作。金がなくても智恵を使って、前例にないものを産み出すのが創」。8歳の螢(中嶋朋子)は、既にひとりで創をやっていた。
83歳になった倉本は現在、来年4月から1年間放送する新作『やすらぎの刻(とき)~道』(テレビ朝日系)を執筆中だ。前例のないドラマをつくる「創」の挑戦を続けている。