『わたしたちが火の中で失くしたもの』
- 著者
- マリアーナ・エンリケス [著]/安藤 哲行 [訳]
- 出版社
- 河出書房新社
- ジャンル
- 文学/外国文学小説
- ISBN
- 9784309207483
- 発売日
- 2018/08/24
- 価格
- 2,915円(税込)
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キング以降のホラー小説に“新たな声を重ねた幻想短篇
[レビュアー] 豊崎由美(書評家・ライター)
短篇集『わたしたちが火の中で失くしたもの』が本邦初紹介となるアルゼンチンの作家、マリアーナ・エンリケスは、読む前と読んだ後では世界の見え方が変わるというタイプの小説の紡ぎ手だ。
治安の悪い地区に住む女性が、近所で寝起きしている少年とその母親と関わることになる「汚い子」。別荘で過ごす少女が、夜、親友と共に小さなホテルに忍びこむ「オステリア」。マリファナからLSD(アシッド)へ、社会状況の変化と共に行状を悪化させていく〈あたしたち〉の五年間を描いた「酔いしれた歳月」。廃屋の中で忽然と姿を消した幼なじみをめぐる物語「アデーラの家」。小さな子ばかりを餌食にする殺人鬼の幽霊を見るようになった男の話「パブリートは小さな釘を打った」。引っ越したばかりの家で、主人公がたどることになる狂気と恐怖の顛末を描いた「隣の中庭」。川を流れる有害物質と貧困のせいで忌むべき場所となっている地区に、事件の調査のため単身乗りこんでいく女性検事の物語「黒い水の下」。過激なフェミニズム小説である表題作。
など、女性を主人公にした収録十二篇の多くは、アルゼンチンならではの歴史と社会状況や、ジェンダーの問題を背景にしている。また、すべての作品は、目に見える形で閉じられてはいない。読者の心の中にある恐怖の扉を開け放ったところで、エンリケスは筆をおくのだ。
現れた何かは幻覚なのか、そうではないのか。ヒロインは結局どうなったのか。作者は、独特の声音で読者をまんまと扉の前まで連れていくのに成功すると、内側をのぞきこんで自分で確かめてみてごらんとそそのかす。そして、物語の続きを想像したら最後、わたしたちは読む前の世界には戻ることができないのだ。
二十カ国以上で翻訳され、話題になっているのも納得。アルゼンチン文学十八番の幻想短篇や、キング以降のホラー小説に、新しい声を重ねることに成功した小説家と讃えたい。