『永遠平和のために』と徴兵制――三浦瑠麗『21世紀の戦争と平和 徴兵制はなぜ再び必要とされているのか』

レビュー

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21世紀の戦争と平和

『21世紀の戦争と平和』

著者
三浦 瑠麗 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
社会科学/政治-含む国防軍事
ISBN
9784103522515
発売日
2019/01/25

書籍情報:版元ドットコム

『永遠平和のために』と徴兵制

[レビュアー] 渡辺靖(文化人類学者・アメリカ研究)

 イラク戦争の頃、アメリカのリベラル派の一部から徴兵制の復活を提唱する声が聞こえてきた。同派には反戦平和主義者も少なくない。驚きを禁じ得なかったが「アメリカ人、とりわけ若い世代は戦争をテレビゲームのように軽く考えるようになっている。バーチャルではなくリアルな現場を体験させることで、事の重大さに気づくはずだ」というのがその理由だった。実現可能性が低い提案とはいえ、重要な点を突いており、ずっと気になっていた。戦場を知る者ほど力の行使には慎重という指摘もしばしばなされる。

 あるいは、今から30年ほど前。私はイスラエルのキブツでボランティアとして働いていたが、同年代の若者(徴兵)たちが銃を携えてバスに乗り込んできたことに度肝を抜かれた。平和な日本に生まれ育った幸運に感謝したが、同時に、平和を空気のごとく捉えがちだった自分の甘さに気付かされた瞬間でもあった。

 今回、気鋭の国際政治学者である三浦瑠麗氏がこの(民主国家における)徴兵制という問題について極めて多面的かつ重厚な考察を加えてくれた。「徴兵制はなぜ再び必要とされているのか」という副題が示すように切り口は挑発的だが、国民一般を対象にした徴兵制が導入されているイスラエルや韓国を含め、主要国の徴兵制について冷静かつ丁寧な分析が施されている。

 とはいえ、単なる技術的な徴兵制論ではない。グローバル化する現代世界にあって「国民国家」は復権に値する制度なのか。国家の防衛には自ずと「血のコスト」が伴うが、それを一部の人びとに負わせることは公正なのか。民主主義や文民統制さえ遵守されていれば攻撃的戦争は防ぐことができるのか。そもそも「正しい戦争」などあるのか……。私たちが直視してこなかった、いや、したくなかった根源的な問題群に著者は果敢かつ鮮やかに斬り込んでゆく。

 日本で徴兵制の意義を語るという行為は、たとえ学術目的であったとしても、瞬時に拒否反応を招き得る。しかし、スイスとノルウェーは第二次大戦後も徴兵制を維持しつづけ、スウェーデンは昨年、復活させた。フランスではマクロン大統領が徴兵制復活を公約に掲げ話題になった。こうしたヨーロッパの先進民主国家における動向は何を意味するのか。「軍国主義再来の危険な兆候」といったイメージがすぐに頭をよぎった方はまず本書を読んだほうがいい。誇り高き好戦論者の方はなおさら本書をよく読んだほうがいい。

 個人的にもっとも面白かったのは徴兵制の問題をカント晩年の名著『永遠平和のために』と結びつけて論じた箇所だろうか。巷ではカントは理想論者と誤解されがちだが、カントは徹底的な懐疑論者だった。例えば、カントは民主主義の拡大による世界平和を構想してはいたが、多数派の民意によって戦争が起きるリスクや、その煽りを常備兵が受ける不公正さにも気づいていた。それゆえ常備軍の廃止と郷土防衛軍(有事のみに編成される国民皆兵部隊)の創設を唱えた。いわばカントは「血のコスト」を国民に広く共有することによって戦争リスクを抑制しようとしたわけである。

 しかし、多くの国がこの「血のコスト」の共有に失敗してきた。著者はその顛末を古代ローマ帝国から近代ヨーロッパの主権国家、そしてアメリカにおける軍と社会の関係に着目しながら繙いてゆく。事例分析や思想面のみならず、歴史的な奥行きにも富む力作である。

 アメリカでは兵力不足からベトナム戦争時に徴兵制が拡大したが、皮肉にも、それは反戦運動に拍車をかける契機となり、志願兵制へと移行した。以後、軍と社会(民意)の乖離は決定的となった。冒頭で紹介したイラク戦争時のエピソードはまさに「血のコスト」への想像力の欠如とそれがもたらすリスクの甚大さを危惧するものだった。

 もっとも、徴兵制を導入すれば「血のコスト」を恐れるあまり敵対国・勢力に宥和的になりすぎるという懸念もあり得よう。サイバー技術やゲノム編集技術を用いた戦争が私たちの未来だとすれば「兵士」のイメージそのものも修正が必要かもしれない。こうした点も含め、本書はまさに「21世紀の戦争と平和」について考える最良の契機となろう。

新潮社 波
2019年2月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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