【自著を語る】『現代社会と経済倫理』の刊行に寄せて

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現代社会と経済倫理

『現代社会と経済倫理』

著者
永合 位行 [著]/鈴木 純 [著]
出版社
有斐閣
ジャンル
社会科学/経済・財政・統計
ISBN
9784641165274
発売日
2018/07/19
価格
2,420円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

【自著を語る】『現代社会と経済倫理』の刊行に寄せて

[レビュアー] 永合位行(神戸大学大学院経済学研究科教授)

はじめに

 昨年の7月に共著『現代社会と経済倫理』を出版しました。本書は、専門の研究者を対象とした専門書ではなく、一般の読者を対象とした経済倫理の入門書です。企業経営者や企業経営を学ぼうとしている学生にとって、経営倫理を学ぶことは必要不可欠ですので、ビジネス・エシックスと呼ばれる経営倫理や企業倫理の分野には多くの入門書や教科書が存在します。しかし、ビジネス・エシックスの分野にとどまらず、経済倫理全体をカバーし、広く一般の読者を対象とした経済倫理の入門書は、日本にはそれほど多くは存在していません。筆者たちがこのような一般の読者を対象とした経済倫理の入門書を執筆しようと思ったのは、経済倫理の入門書が少ないという現状もさることながら、それ以上に、一部の研究者や学生だけでなく、現代社会に生きるすべての人びとが経済倫理について学び、自ら考えるべき時代がいままさにやってきていると考えたからです。その意味で、一般の読者を対象とした経済倫理の入門書は、時代の要請と言うことができます。

 しかし、数少ない経済倫理の入門書もそうですが、一般に倫理に関する入門書や教科書の多くは、功利主義、義務論、徳論といった倫理学の基礎理論の説明から始まるため、そもそも倫理学そのものに関心を持っている人は別にして、そうでない人にはなかなか手に取っていただけないということになってしまいます。そのため、本書では、できる限り多くの人たちに本書を手に取っていただけるように工夫をしました。まず、倫理学の基礎理論の説明から入るというオーソドックスなスタイルをやめました。その代わり、実際に生じてきている経済倫理に関わる問題を取り上げ、それらの問題を考察する中で、必要な倫理学や経済学の基礎理論は説明するというスタイルを採用しました。繰り返される企業不祥事、長時間労働による過労死や過労自殺、格差や貧困の問題など、経済倫理に関わる現実の問題に関心を持っている読者は多くいるはずだと考えたからです。また、各章のタイトルをすべて問いかけの形にしました。こうすることで、各章のテーマが明確になるとともに、読者自身がそのテーマについて自分自身で考えるきっかけを与えることができると考えたからです。

 本書の構成に関して言えば、筆者たちのメッセージが伝えられるように、二部構成としました。第Ⅰ部では、市場で行動する経済主体に焦点をあて、それらの主体に求められる個人倫理や組織倫理について明らかにしました。経済学のミクロ・マクロの区別で言えば、ミクロの経済倫理にあたる部分ということができます。一方、マクロの経済倫理にあたるのが第Ⅱ部です。ドイツ語圏の経済倫理学では「秩序倫理」とも総称されますが、市場そのもののあり方や市場と国家との関係、さらには経済社会全体の枠組み(経済体制)のあり方が取り扱われます。第Ⅰ部はビジネス・エシックスの入門書と重なる部分もありますが、第Ⅱ部はそれらの入門書と大きく異なる部分ですので、本書の特徴の一つということができます。以下では、これら二部からなる本書で筆者たちが伝えたかったメッセージを簡単に紹介することにしましょう。

自分の生き方を問う

 倫理について学ぶことは、自分自身の生き方を問い直すことだとよく言われます。経済倫理についても、まったく同じです。経済倫理について学ぶことは、経済主体としての個人の「生き方」や組織の「あり方」をたえず問い直すことにほかなりません。第Ⅰ部では、このような自らの「生き方」や「あり方」の問い直しが、どの経済主体にもいままさに求められていることを明らかにしようとしました。

 物質的豊かさや経済成長をただひたすら追い求めればよかった時代とは異なり、人権意識の高まりや環境問題の深刻化、少子高齢化の進展、さらにはグローバル化や情報通信技術の急速な発展など、経済社会を取り巻く環境の変化によって、現代の経済社会では、生産者にも消費者にも、社会的責任意識を持った行動が強く求められています。この社会的責任を考えるにあたって重要になってくるのが、自己と他者の関係、すなわち、自らの行動が他者に及ぼす影響を考慮し、他者に配慮した行動をとっているのかという視点です。しかも、この場合の他者には、見知らぬ他者、すなわち、遠く離れた海外の人たちや、まだ生まれていない次世代の人たちもまた含まれます。こうした見知らぬ人たちを含めた他者への配慮や思いやりを持った行動をとることが、まさにいま求められているということができます。

 しかし、その一方で、第Ⅰ部で取り上げた経済倫理に関わるさまざまな深刻な問題の出現は、こうした時代の要請に人びとがいまだ応えることができていないということを意味しています。多様なステークホルダーへの配慮、労働者の人間としての尊厳への配慮、自らの消費行動によって影響を受ける他者への配慮、こうした他者への配慮がなされていないことによって、それらの問題は引き起こされてきたと言うことができます。そうであるからこそ、現代に生きる人びとは、生産者としてであれ、消費者としてであれ、他者への配慮という視点に立って自らの経済行動をたえず見つめ直していかなければなりません。この見つめ直しを通じて、人びとは自らの「生き方」を、また、企業のような組織は組織としての自らの「あり方」を問い直すことにつながっていくことになります。経済倫理を学ぶことは、このような「生き方」や「あり方」をたえず問い直すことだということを忘れないでいてほしいと思います。

よりよい経済社会の枠組みを求めて

 次に、第Ⅱ部で筆者たちが伝えたかったことは、先に述べた経済社会を取り巻く環境の変化によって、福祉国家体制と呼ばれるこれまでの経済社会全体の枠組みが限界を迎え、いままさに新たな経済社会の枠組みが求められているということです。日本では財政赤字が巨額に膨れ上がり、福祉国家を財政的に維持することが困難になっていることは周知の事実と言ってよいでしょう。しかし、福祉国家の問題は、たんなる財政上の問題にとどまるものではありません。むしろ、福祉国家という枠組みそのものが時代の流れに合わなくなってきており、そのことが本書で取り上げたさまざまな問題をまさに引き起こしていると言うことができます。そうである以上、福祉国家の限界を的確に理解するためには、福祉国家を時代の大きな流れの中に位置づける必要があります。本書の第Ⅱ部で福祉国家の歴史的説明を加えた理由は、そこにあります。誰にも手に取っていただける入門書という性質から、詳細な説明に入ることはできませんでしたが、福祉国家体制は近代社会という土台の上に構築された体制です。その福祉国家体制が危機に陥っていることは、じつは近代社会そのものが大きく揺らいできていることを意味しています。本書の第Ⅰ部では労働社会や消費社会の問題を説明しましたが、労働社会や消費社会は、労働や消費の側面から近代社会を特徴づけたものです。その意味で、本書で取り上げた問題はすべて、近代社会の抱える歪みが深刻な社会問題として顕在化してきたものと言うことができます。

 このように捉えるならば、労働社会や消費社会からの転換、さらには福祉国家体制からの転換をはかることは、近代社会そのものを乗り越え、社会を次の時代へと大きく転換させることを意味しています。このような大転換の時代の中にあって、日本が、あるいは世界がどのような道を進んでいくのかは、わたしたち一人ひとりの考え方にかかっています。わたしたちがどのような経済社会の枠組みを築くべきか、これは「いま」という時代を生きるすべての人が真剣に考え、その答えを出していかなければならない重大な課題にほかなりません。そして、この課題に応えていくためには、人びとが目指すべき価値や理念そのものの検討が必要になってきます。「人間とはどのような存在なのか」、「自由や平等とはどのような意味なのか」、こうした倫理的な問いに向かい合うことによってはじめて、それぞれの人の思想的基盤が確立され、あるべき経済社会の枠組みとは何かという問いに答えを出していくことができるようになります。経済倫理を学ぶことは、まさにそのためにあるのだということ、このこともまた忘れないでいてほしいと思います。

 本書では、筆者たち自身がどのような経済社会の枠組みを目指すべきと考えているかについて述べることは控えました。むしろ、本書の第Ⅱ部では、新たな経済社会の枠組みを構想するにあたって、あらかじめ知っておかなければならないことや考慮しなければならないことを中心に説明しました。市場の機能と限界、分配のあり方、福祉国家の歴史、福祉国家を取り巻く環境の変化などです。それは、筆者たち自身の考えを披歴するよりも、新たな経済社会の枠組みを構想するにあたって押さえておかなければならない点をまずはしっかりと押さえていただいた上で、読者自身が自ら考え、答えを出していく「はじめの一歩」になることが重要だと考えたからです。

おわりに

 以上のように、本書は、一般の読者の方にまずは本書を手に取っていただける工夫をした上で、筆者たちのメッセージをお伝えすることを目指した経済倫理の入門書です。本書が経済倫理をさらに深く学ぶための第一歩になったとすれば、筆者たちにとってこれ以上の喜びはありません。入門書という性質から本書では取り上げられなかったテーマは、多々あります。とりわけ、新たな経済社会の枠組みを考える際に重要となる多様な経済思想の詳しい説明に入ることはできませんでした。当初の企画では、代表的な経済思想の説明を複数の章をとって行う予定でしたが、入門書としては内容が難しくなってしまうため断念しました。いずれ機会があれば、経済思想に特化した入門書を書いてみたいと思っています。

有斐閣 書斎の窓
2019年3月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

有斐閣

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