『官僚制と公文書』
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テキトー公文書はテキトー政権ゆえ
[レビュアー] 林操(コラムニスト)
読みやすくもなければ、読んでて楽しいわけでもありません。噛んで含めての聞き書き系新書ではなく、研究者自身が書き手の専門書系新書、しかもテーマは『官僚制と公文書』。
にもかかわらず、読中の納得感と読後の満足感が濃いのは、ひとつには森友だの加計だのでバレた役人たちによる文書の偽造捏造隠蔽について、著者の新藤宗幸がきちんと厳しくて溜飲が下がるゆえだとして、もひとつ大きいのは、今の政権への違和感不信感がキツい理由としてワタシが素人なりに立てていた仮説が、行政学の専門家である新藤の論旨と、さほど乖離していなかったという嬉しさ。
たとえば……お役所仕事の根幹たる公文書や統計の作成や公表でテキトーやり放題でも平気の平左の霞が関は、国民の下支えなんて建前を脱ぎ捨て、国家の上澄みだっていう本音丸出しで、世の中より一足早く戦後から戦前に戻ってる……と愚考してたら、この新書で新藤が、維新から敗戦までの役人軍人が天皇の官僚だから無謬だとうそぶいていた無責任を指摘してくれて、膝を打つ具合です。
なにしろ、行政の責任を負う首相以下の政治屋サンからして、彼らの大ニッポンを内憂外患だらけの苦境に導いときながら、今は苦境なんだから正規の手続きなんぞ踏んでる暇はないと叫ぶマッチポンプの達人が揃う令和元年こと明治152年。オウム真理教が失敗した霞が関の破壊と支配に成功したのはメイジ真理教でしたとさ。