『楽園とは探偵の不在なり』
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特異な設定による魅力的な問い
[レビュアー] 円堂都司昭(文芸評論家)
よくこんなことを思いつくものだ。斜線堂有紀(しゃせんどうゆき)『楽園とは探偵の不在なり』に対する素直な感想である。外界との行き来が閉ざされた場所で連続殺人が起きる。容疑者の人数が限られるなか、相互の不信が高まっていく。謎解きを主眼とするミステリでは、定番のシチュエーションである。ただ、この定番を本作は、とても異様な設定で書いている。
その世界には、蝙蝠(こうもり)に似た翼を持つ灰色の天使が降臨していた。二人を殺した人間がいると、鏡のように顔は輝いているが目鼻口のない天使たちが現れ、炎で包み地獄へ引きずりこむ。人間の関与の前に死刑が執行されるわけだ。その現象が一般化した結果、人々の考えかたは変わってしまう。殺人者は必ず天使に発見され断罪されるのだから、人による推理や裁きは不要になる。また、二人殺したら地獄行きならば、一人殺すまでは許される、あるいは二人殺すも大勢殺すも同じだととらえる人も出てくる。
探偵の青岸焦(あおぎしこがれ)は、大富豪の常木王凱(つねきおうがい)の誘いに応じ、天使が集まる常世島(とこよじま)を訪れた。だが、そこに集まった人々が次々に殺される。三人以上死んでも事件は続く。なぜ犯人は地獄に落とされないのか。人の推理や裁きに意味がないような環境で、探偵にできることはあるのか。
普通のミステリではお目にかかれない問いの形が、まず魅力的だ。不可能なはずのことがなぜ可能になるのかは、ミステリによくある問いではある。だが、特異な設定によって問いに新奇な形が与えられている。天使の存在する意味が不明のまま、探偵は自分にできることと必死に取り組むしかない。世界がこうある意味がわからぬまま、それでも生きるしかない私は、彼を応援したくなる。