「なぜ女も男も生きづらい世の中になったのか」~『愛と性と存在のはなし』出版記念 赤坂真理×鈴木涼美 初顔合わせ異色対談

対談・鼎談

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愛と性と存在のはなし

『愛と性と存在のはなし』

著者
赤坂 真理 [著]
出版社
NHK出版
ジャンル
社会科学/社会
ISBN
9784140886403
発売日
2020/11/10
価格
935円(税込)

書籍情報:openBD

「なぜ女も男も生きづらい世の中になったのか」~『愛と性と存在のはなし』出版記念 赤坂真理×鈴木涼美 初顔合わせ異色対談

[文] アップルシード・エージェンシー


赤坂真理さん

「セクシュアル・マイノリティは存在しない」という衝撃の宣言から、「なぜなら、自分の中を本当によく見たら、『ひとり1マイノリティ』ほどに人間は多様だから」ということを実際に解き明かしていく圧巻の『愛と性と存在のはなし』。

異性間恋愛の人こそ実はセクシュアル・マイノリティなのではないかと昨今のジェンダー論やLGBTQ議論に新たな波紋を投げかけた話題作『愛と性と存在の話はなし』(NHK出版新書)は、作家、赤坂真理さんが6年ぶりに上梓した新書である。

出版を記念して『身体を売ったらサヨウナラ 夜のオネエサンの愛と幸福論』(幻冬舎)で鮮烈なデビューを果たした後、『おじさんメモリアル』(扶桑社)などで世の中を仕切る男性に切れ味の鋭いエッセイを発表し続けている鈴木涼美さんと、初顔合わせとなるトークイベントを赤坂真理さんが所属するアップルシード・エージェンシーがまとめた。

 ***

女性優位の言語空間の中で語られてこなかった男性の生きづらさ

鈴木涼美(以下、鈴木) 赤坂先生の小説は読んだことありました。この『愛と性と存在のはなし』は不思議な本だなと思って、熱中して大阪のホテルで一晩で読んでしまいました。いろいろな要素があって、個人的なお話も含めてエッセイのようなところもあったし、映画「ボヘミアン・ラプソディ」の話や時事ニュースにまつわる話もあって、全体に湿度感のある、いい匂いのする本でした。いろんなお話ができそうな気がして、今日は初対面なんですが楽しみにして来ました。

赤坂真理(以下、赤坂) ありがとうございます。はじめに、「個人的なことだけ、集合的なことだけでなく、一番面白いところは個人と集合性の間で起きていることではないかと思っています。鈴木涼美さんの本を読んで、同じような感受性で物を書いているように感じられ、今日お話できることを楽しみにしてきました。

わたしが書くものに流れているテーマの一つに「日本の戦後という時代はどういう時空間だったか」という問題がずっとあります。鈴木さんの『身体を売ったらサヨウナラ』を読んだ時、それが高速圧縮回転で「ああわかった!」と瞬間的に思えました。

どういうことかというと、書き出しが「全部、生まれて3秒で持っていた」というところ。例を挙げると「広いお家に広いお庭、愛情と栄養満点のご飯、愛に疑問を抱かせない家族、夕食後の文化的な会話、バレエに芝居にオペラ鑑賞」。それを読んで「私たちはすごく特異な文化、社会に生きてきたんだ」ということがわかって。今は戦後75年ですが、たった75年前に米一粒もないようなところから始まって、三十年そこらで物質も文化も全て持っていて、もう飽きちゃった、刺激がない、先がない、という気分になる社会って、かなり特異だと思うんです。世界中で、たぶん、ここしかない。

そして、何もないところから超高速で飽和しちゃった社会、その時空間に私たちが影響されたものはすごくあって、それが性の世界、性の領域にかなり出ているような気もします。ある世界の欠落も過剰も、その表現の多くは、性や性風俗に出る気がわたしはしています。鈴木さんとプライベートでした話をここで言ってよければ、控室で「さらに刺激を求めていって、気がついたらカメラの前で腰を振っていた(AVに出ていた)」と鈴木さんおっしゃっていました。わたしはこの本の中で「愛と性のすれ違い」のことを語ったんだけど、鈴木さんは「愛と刺激の分離」のことをよく語っていらっしゃる。それは、同じことな気がしたんです。

あと、当然なのかも知れないけれど鈴木さんの本には、何をやっても何を持っていても満足しない女の子が出てくるでしょう。それを読みながら、これはたしかに、現代の男性が大変だと思いました。

『愛と性と存在のはなし』の中で目を配った大きなことは、男性の生きづらさだったんです。男性が何をやってもセクハラに捉えられるとか、そういう生きづらさもあるけれど、女性に何をやっても喜んでもらえるかわからない気がする、という大変さがあるなと。

鈴木 戦後を語られる文章の中で、「男の悔しさというのは語ってはいけないものになっていた」という一文がありますよね。その一文がすごく好きです。

愚かな戦争をした戦犯たちに戦後の男性の原点はあって、そこから頑張って男性中心にその前以上に豊かな国を作ってきた。気づけば世の中は戦争から40年も経たないうちに、もちろん誰もがじゃないですけど、私が書いたような「生まれて3秒ですべてを持っていた」という状態になった。その時、男の人が宙に浮いちゃった感じがすごくするんですよね。

私たちはそれなりに満足だけど、すごく満足ではない、みたいな感覚で。若い頃は男の人に何を求めているのかわからないままにいろんなものを求めていて、それはその都度言語化もしていたけど、求めていることをされたところで「やっぱり違う、これじゃない。私の欲しいものは」みたいな感覚があって。

赤坂 何を持ってこられてもこれじゃないと言うかぐや姫のようですね。

鈴木 そうですね(笑) 単純に男性自身の価値みたいなものも、守ってくれて経済的に満たしてくれる男性がいいという価値観がなくなる前に、マッチョイズム嫌悪みたいなものもあって。「グイグイ引っ張ってくれる人がいい」と言いつつ、「女性の意思を尊重しないでグイグイ引っ張る人なんて前時代の負の遺産だ」と言われ、奢ったらファシストと言われ、奢らなかったら甲斐性無しと言われている今の男性の辛さは、男の人発信ではあまり語られてないような気がしてならないんですよね。女の生きづらさを語った本は今すごくいっぱいあって、何かをめくれば私らは生きづらいと言っている。だから赤坂さんのこの本の中でも、次の部分がすごく好きなんです。

「どこまでが不可抗力かどこからが意志なのか、女の人生はきわめてわかりにくい。それに対して意志の持ち方が、よくわからない。(中略)女の人生は意思とアクシデントのはざまにある」

社会的に形成されてしまった価値観を押し付けられているようでもあり、でももしかしたらもっと内的なものかもしれない、どちらかわからないものに突き動かされている女性の生きづらさは、私も女性だからすごくわかる。でも、男の人の辛みって誰にも目を向けられていない。この本はかなり男の人の痛みにフォーカスが当たっている気がして、そこがすごく最初に引き込まれました。

第二章「女性優位の言語空間」の冒頭に東大の祝辞の話が出てきます。上野千鶴子さんが東大の入学式で祝辞を述べた時に、受験戦争を終えて入ってきた人たちに、医学部の不正入試の話などをされた時のことを引いて、そこにいた、何も悪いことをしていない男の子たちが、男性であるだけで加害者とされてしまう悲哀みたいなものが書かれています。ここに目を向けた人があの時あの場にどれだけいたかな、と。私もあの祝辞を読んで別に感動もしなかったけど、男の子にとって残酷な言語空間が今いろんなところに溢れているな、というところまであんまり意識がいかなかったなあと思い出していました。

赤坂 近年、男性が男性であることに罪悪感を持っているという声をすごく聞いたんですよね。「罪悪感」とまで言うのはかなり酷いことだから、ここ数年どういうことかなと考えていたんです。

わたしはその時大学院で教えていたので、学生に聞いてみたんです。「あなたたちがその東大の入学式の新入生男子だったらどう思う?」って。でも、男子はけっこう諦めている。「もう怒ってもしょうがないでしょ。」と。暴風雨みたいに「やり過ごす」という意見がすごく多くて、そのあきらめのほうが私は怖かった。一人だけすごく怒ったのは台湾からの留学生の男子学生で、日本人の男の子はもう「しょうがない、そういうもんだよ」と、ちょっとシニカルに笑っていて。あきらめて殴られている感じのほうが怖いなと感じました。

鈴木 私も文筆業をしていて、男性の悪口は本当に誰に気を使うこともなく言いやすい時代だなと感じます。

私は『おじさんメモリアル』という本を出していて、それは知り合いの風俗嬢とか、あと自分自身の水商売の経験の中で出会ったおじさん達が、フェミニストが言うほど強い権力者でもないよ、意外と情けないよと思って、その姿を哀愁こめて書いた本だったんですけど、その後さっき赤坂さんがおっしゃっていたような、自分の中にある男性性が嫌だという男性の書き手の人が登場してきて、男の人って私が思っていたよりもさらに、苦しさを言葉にしてはいけない空気の中にいる気がしています。

赤坂 『おじさんメモリアル』には男性への慈しみを感じます!(笑)

反面、女性が男性を責める言葉は、安易に共感を得てしまえるところはありますよね。男がそれをしたら即アウトです。この言語的不均衡は何だろうと。そのうえ、「逆を言っても、何をやっても、アウトなんじゃないか」って恐れを心ある男性は持っている気がする。何もできなくなる。

それとさっきの罪悪感の話で、身動きが取れない感じの男性が結構いる気がする。「男性だという時点で加害者である」というような思いを彼ら自身が持っていることがある、それが少なからぬ良質な優しさを持つ男性の中にあるとわかり、とてもびっくりしたんです。


鈴木涼美さん

鈴木 そうですね。私もびっくりします。

その感覚はやっぱり私にはなくて、男の人が男に生まれただけで申し訳なさを抱えて生きているのだとしたら、彼らにそれを求めているのが何なのか、はっきり言えないけれど、それはあまりいいことじゃないような気がして。やっぱり一部のフェミニズム言論が、「男性の男性であるがゆえのもの」を否定したところにあるのかなと思ったりもするんです。

フェミニストにも、様々で、真っ当なことを抗議している人もいて別になんでもかんでも悪いと思わないんですけれど、ただ少し私は、男に「女と同じ生き物になれ」と言っているような感じがすごく気になってます。

私は男性を分かり合えない存在であると認識しているので、教育することによって女の考え方を彼らに植えつけるのは無理だよ、とか思いながら見ています。

なんとなく、「男性性を捨てなさい」っていうメッセージが彼らの罪悪感のどこかに作用しているんじゃないかなと思うんですよね。

赤坂 「女と同じ生き物になれ」「男を捨てなさい」というのは、日本のフェミニズムのある流れを表現したものとして、秀逸です!! これほど秀逸なものを聴いたことがありません。

あと、男性が女性を見る目のすべてが悪のように言われる。見た目で評価するのは女性を欲望の対象とする態度だとか。

だけれども、「欲望の対象と見ること」自体は、両性にある。女性が男性の経済性や立場を即座に評価して欲望の対象とすることは、咎められない。直接身体を欲望の対象としなければ、暴力的な視線ではない、という感じ。身体的でなければ暴力ではないのか?と思うんですよね。

 ***

赤坂真理(あかさかまり)
東京生まれ。高円寺育ち。少しアメリカ育ち。90年に別件で行ったアルバイト面接で、アート誌『SALE2』の編集長に任命される。同誌に寄せた小説が文芸編集者の目に留まり、95年に「起爆者」で小説家デビュー。代表作に、寺島しのぶと大森南朋主演で映画化もされた『ヴァイブレータ』(講談社)、『ミューズ』(講談社・野間文芸新人賞)、アメリカで昭和天皇の戦争責任を問われ惑う少女を通してこの国の戦後を描いた『東京プリズン』(河出書房新社・毎日新聞文化賞、司馬遼太郎賞、紫式部賞)が大きな反響を呼び、戦後論の先駆けとなった。

大きな物語と個人的な物語は関連するという直感を持ち、社会と個人を結ぶ、批評と物語の中間的作品にも情熱を持つ。そうした作品に『モテたい理由』(講談社)『愛と暴力の戦後とその後』(講談社)など。本作もそうした系譜の作品のひとつであるといえる。

鈴木涼美(すずきすずみ)
1983年東京都出身。慶應義塾大学環境情報学部卒業、東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。大学在学中からキャバクラ嬢などを経験し、20歳の時にAV女優デビュー。大学院卒業後は日本経済新聞社に入社し、都庁記者クラブや総務省記者クラブなどで5年半勤務。退社して著述家に。大学院での修士論文が2013年に『「AV女優」の社会学 なぜ彼女たちは饒舌に自らを語るのか』(青土社)として書籍化。世相や男女・人間関係を独自の視点と文体で表現するコラムやエッセイが話題。近刊に『非・絶滅男女図鑑』(集英社)がある。

アップルシード・エージェンシー
2021年2月28日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

アップルシード・エージェンシー

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