『複眼人』
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人間の運命を、生と死を、圧倒的なスケールで描く
[レビュアー] 佐久間文子(文芸ジャーナリスト)
『歩道橋の魔術師』『自転車泥棒』で日本の読者にも知られる台湾の作家、呉明益の『複眼人』は、ノスタルジックなその二作と大きく作風が異なっている。
神話やフォークロアの世界と、自然科学に裏打ちされたディストピア的近未来を大胆に融合させた『複眼人』は、人間の運命を、その生と死を、「麗しの島」と呼ばれた台湾の雄大な自然を舞台に、圧倒的なスケールで描く。
登場人物はさまざまな過去を背負う。太平洋に浮かぶワヨワヨ島で生まれ育った少年アトレ。文学研究者で大学教員のアリス。タクシー運転手兼救助隊隊員で、先住民族布農族のダフ。海辺でバーを営む阿美族のハファイ。トンネル掘削の専門家であるデトレフと海洋生態学者サラのカップルはヨーロッパから台湾を訪れ、アリスの夫トムもデンマーク出身だ。
アトレが生きる世界と、アリスたちが暮らす世界には、まったく接点がない。小説も、それぞれの視点で進行するが、太平洋上のゴミの浮島の存在が劇的にふたりを結びつける。次男は島を離れるという島の掟に従い、小舟で島を出たアトレが流れ着くのがそのゴミの島で、アトレを乗せた浮島はアリスの暮らす海辺に接近するのだ。
恋人との再会を信じて生き延びようとするアトレと、死を願っていたアリス。思いがけず出会ったふたりに共通言語はないが、身ぶり手ぶりをまじえて意思の疎通をはかり、気持ちが通じ合う。
次男を死なせることで、資源の限られた小さな島の人々は命をつないできた。ワヨワヨ島は台湾の縮図であり、台湾は世界の縮図である。
タイトルにもなった複眼人とは何か。登場場面はわずかだが、この小説はまさに、複眼人の視点で描かれたものだと思う。人が生き延びるために必要なものとして、言葉、物語、記憶が美しく描かれる。