自由だけど孤独な現代社会で迷子になった大人に勧める エッセイスト・塩谷舞が安心感を得られた一冊

レビュー

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なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない

『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』

著者
東畑 開人 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784103544913
発売日
2022/03/16
価格
1,760円(税込)

書籍情報:openBD

こころと人間関係をシンプルにしすぎる前に

[レビュアー] 塩谷舞(エッセイスト)


塩谷舞さん(photo by Sho Makishima)

誰だって人生で迷子になってしまう時期がある。そんなとき、あなたを助けてくれるのが7つの補助線だ。臨床心理士として15年、現代人の心の問題に向き合ってきた東畑開人さんによる書籍『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』の読みどころをエッセイストの塩谷舞さんが紹介する。

塩谷舞・評「こころと人間関係をシンプルにしすぎる前に」

 なんだか最近、「関係性を断ち切るためのアドバイス」を見る機会がうんと増えてきた。

 古い慣習を強いてくる家族、干渉してくる隣人、自分の価値を認めてくれない職場、自己肯定感を下げてくる配偶者etc.……状況は違えど、「私らしさ」を阻害されている環境にいる「あなた」に向かって、「断ち切りましょう! あなたには価値があるのだから」と語りかけてくる言葉たちを、書店の自己啓発書コーナーやSNSで非常によく見かける。つまりはまぁ、よくバズりよく売れる、世の中的に支持されやすい言説なのだろう。

 もっとも、石の上にも三年だとか、無遅刻無欠席で皆勤賞だとか、そうした忍耐ばかりが美徳とされてきた日本社会の中で「断ち切りましょう!」という言葉に心を救われた人は少なくないだろう。かく言う私も上京・辞職・渡米・離婚、という断捨離フルコースを経てきた側なので、その言葉の有り難さは身に沁みている。断ち切ったほうが良い関係性というのは、確実にあるでしょうよ。そして昨今は、断ち切った後の生活を円滑に過ごせるだけの環境が整備されている。たとえば「妻の役割としての掃除」の代わりに清掃サービスが、「おつかい頼まれてくれない?」の代わりに宅配サービスが、「ちょっと聞いてよ」の代わりにカウンセリングサービスがある。なにごともアプリ一つで依頼できるし、明朗会計。内容に不満があれば担当者を替えれば良いだけで、後腐れもなく快適だ。

 こうした「お金を払ってでも取り除きたい痛み」は起業家たちの間で「ペイン」と呼ばれ、新規事業の源泉だとか言われている。彼らは生活の隙間に潜んでいるペインを探し当て、サービスを生み出し、社会にその必要性を訴えかけていく。それは女性活躍だとか、スペシャリスト育成だとかいう文脈で語られることもあるし、実際そうした営みのお陰で私たちは(というか私は)様々な足枷を外すことが容易になり、うんと身軽になったのだ。個性を発揮し、専門性を高め、無駄なストレスから解放。こんなに素晴らしい時代はない(ただし金さえあれば)!

 けれども、臨床心理学者・臨床心理士の東畑開人さんは『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』の中で、こうした状況を「社会の小舟化」だと指摘する。小舟化する社会では、遭難しようが沈没しようが自己責任。それは自由で、同時に孤独な社会でもあるのだ、と。

 本書の中には、東畑さんのもとへカウンセリングにやって来た人……つまり小舟の上で孤独を抱える人たちの物語が群像的に描かれている。そんな登場人物の中の一人が、外資系コンサルで管理職を任されながらも、起業を目標としている30代半ばのミキさん。不眠症という悩みを解決すべくカウンセリングにやって来た。

 能力が高く、ホスピタリティに溢れていて、職場でも必要とされている彼女。なんなら落ち目にいる恋人に八つ当たりをされても、嫌な顔をしない。そんなミキさんには他者に迷惑を掛けるという能力が欠落しているようだった。

〈ミキさんがすべての人間関係をギブアンドテイクの取引だと考えていたことも特徴的でした。

 相手の求めているものを提供する。ニーズを満たす。そうなってはじめて、相手は自分に好意を抱き、良いものを返してくれる。それが彼女の信念でした〉

 とはいえ、ギブアンドテイクな関係はとても脆い。そのバランスが壊れてしまった瞬間に、彼女は相手との関係性を断ち切ってしまうような癖があった。ただ、恋人側にも落ち度があるので、「断ち切って次に行きましょう!」という路線もアリかもしれない。が、本書はそうしたスッキリ感を得られる読み物ではない。

〈スッキリは傷つきを外側へと排泄することで、自分らしさを回復させる。モヤモヤは傷つきを内側で消化することによって、自分を成長させる〉と著者は語る。つまり幸福な人生とは、複雑な現実をできるだけ複雑に生きることなのだと。そんなカウンセラーのもとで、ミキさんは徐々に自分を知り、傷を受け入れながら、恋人との関係性を深めていく。そして彼女はついに、利害関係を抜きにした居場所を手に入れ、他人に迷惑を掛けられるようになった。

 ――といったカウンセリングの一部始終が伝わる一冊ではあるが、そこで東畑さんが提供しているのも、また小舟化した社会に向けた「サービス」である。だからミキさんのような人が、対価を支払って利用することが出来たのだ。けれども著者の本当の目的は、こうした本を書くことによって世の中にカウンセラー代わりの人を増やすことなんじゃなかろうか? と思えてくる。小舟化した社会を航海するために必要なのは、ペインを解消するためのサービスだけではなく、ただ居ることを許し、ノーチャージで話を聞いてくれる隣人の存在なのだろうし。もっとも、この一冊を読んだところで著者が大学で8年、現場で10年以上の歳月を注いで得た境地に立つことは難しいとわかっちゃいる。けれども読了後、心の中にはいくつかの補助線が残り、そのことがなんとも心強く思えるのだった。

新潮社 波
2022年5月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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