小説の中に「歴史」を造る 日本SF界の新鋭・小川哲と荻堂顕が語った、創作との向き合い方

対談・鼎談

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ループ・オブ・ザ・コード

『ループ・オブ・ザ・コード』

著者
荻堂 顕 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103538226
発売日
2022/08/31
価格
2,090円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

地図と拳

『地図と拳』

著者
小川 哲 [著]
出版社
集英社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784087718010
発売日
2022/06/24
価格
2,420円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

小川哲×荻堂顕・対談 小説の中に“歴史”を造る

[文] 新潮社


荻堂顕さん

「繋がり」への疑問符

小川 歴史とは、自己と他者を区別する線であり、結びつける線でもあると僕は考えています。国家が歴史や民族を持ち出すのは、敵と自分たちを区別して結束を強め、動員するときです。一方で、僕が遠い過去の人々について思いを馳せるときも、歴史を通じて彼らにアプローチをします。人と人を分けることも、繋げることもできるのが、歴史の特徴なのではないかな、と。

荻堂 僕にとっての歴史は「連続性」の象徴ですね。今作では、「連続性から断絶されても、人間は生きていくことができるのか」を考えたいという思いから、作品のアイデアが浮かんできました。僕自身がそうした連続性への愛着をあまり持っていないからこそ、歴史を断絶された国家を舞台にするアイデアが出てきたんです。だから、作中に出てくる“奪われた側”の人々の心情には、実はあまり感情移入ができません。

小川 普通の作家なら、そうした国家の歴史抹消というオリジナルな事象を、作品の主題である子どもたちの奇病の原因に結びつけたくなると思います。だけど、荻堂さんはそこから個人の家庭や尊厳の話に繋げている。その視点は独特で新鮮でした。それでいて、物語の終盤では抹消前の文化にもアプローチし、連続性の存在が重要なトリガーになっています。

荻堂 書きながらずっと、アルフォンソの決断になんとか整合性を持たせなくては、と考えていました。人生を賭けて生殖を否定してきた彼がそれを肯定するようになるにはどうしたらいいのだろう。そうして、一度否定したこの国の文化に向き合うことが必要になると思ったんです。

小川 反出生主義的な考えの人間が、子を持つことに納得するための理屈はきっと存在しないんですよね。何を諦めて、何を受け入れるのかを、アルフォンソは作品の中でずっと考えていました。

荻堂 『ループ・オブ・ザ・コード』は結局、アルフォンソのような人が子どもを持つことにどう納得できるか、という思考実験の一つでしかないのかもしれません。過去の経験から、子どもの顔を見たいという親本位的な動機を、アルフォンソは持つことができない。そんな彼が、自身の中の矛盾を乗り越える姿を描きたいと思いました。

小川 そもそも反出生主義というテーマ自体、非常に現代的なものですよね。

荻堂 そうですね。少し前に流行った「親ガチャ」にも通じる主題です。ただ、「今だから書いた」というよりは、「次はSFで反出生主義が書きたい」という気持ちが先にあったように思います。

小川 小説を書く中で、現代との繋がりを意識することは僕もあまりないんです。ただ、作家は普遍的なもの、人類の歴史の中で再現性の高いものを掴もうとするので、結果的に描いたテーマが現代にもぶり返してくるということがしばしばあります。カミュが『ペスト』を書いたとき、コロナのことは想定していませんからね。

荻堂 僕も実は、作中でコロナのことを書きたいと思っていたわけではないんです。ただ、今日物語を書くうえで、コロナの存在を無視することはある意味読者に対して不誠実であるように感じられて……結果的に、「疫病禍」という設定に落ち着きました。

小川 転じて、コロナを活かした新たなリアリティという魅力を作品にもたらしましたね。それに、作家の意図によらず、読者は今を生きているから、必然、作品の中に現代的な問いを見出します。『ループ・オブ・ザ・コード』で描かれる反出生主義や親と子の問題は、現代の家族小説と同じ構造を持っているし、そうしたミニマルな家庭の話が世界の構造や社会的な奇病へと繋がるところに、SF的な魅力がある。現代的な問いの立て方も、読者への配慮としてよく機能していると思います。

好きなものだけ届けたい、けれど

荻堂 『地図と拳』は小川さんのこれまでの作品の中でも、リーダビリティの高さやキャラクターの魅力など、読者へのサービスや気配りが豊かな作品でもあったように思います。終盤に明男が丞琳に声をかけるシーンはとても魅力的でした。そのあたりは意識して書かれたんですか。

小川 あの二人の組み合わせは、まさに読者へのサービスですね。実は僕、ストーリーには全然興味がないんです。本当はただただディテールを書いていたい。

荻堂 めちゃくちゃわかります! 僕はテーマが書きたい。自分の主張だけを書きたい。でもさすがにそれを読者には読ませられないですよね……。

小川 ははは、そうですね。僕の場合、例えるなら、素材には興味があるけど味付けには無頓着な料理人のようなものなんです。大好きな素材をどうやったらお客さんに食べてもらえるか、一生懸命考えた時に、それなら徹底的に美味しいものを作ってやろう、と思うようになりました。僕が本を読む時に重視しない分、読者のためには徹底的に読み心地のいい、エンターテイメント性の高いストーリーラインにしたい、と。

荻堂 なるほど。今、大好きなラーメン屋の大将の言葉を思い出しました。

小川 え、ラーメン屋?(笑)

荻堂 長年通う店なんですけど、ある日突然「金はいらないから、今日は麺だけ食ってくれ」と200グラムの麺だけを出されて。「どうだ」と問われ「美味しい」と答えたら、「俺は麺が好きでラーメン屋をやっている。本当は全部の客に麺だけ食わせたい」と言われました。

小川 ははは。

荻堂 だけど大将の店は、ちゃんとスープも美味しいんです。「自分の大好きな麺をより多くのお客さんに食べてもらうために、これに合う最高のスープを作るんだ」とその時言っていて。今の小川さんの言葉に同じものを感じました。いや、小川さんの創作論と一緒にしていいのかはわからないですけど。

小川 いえいえ、一緒です。そして、そのサービスを褒められたときに、素直に喜べる人間でありたいとも思います。そう言ってくれる人が多ければ多いほど、自分の本が本来届かなかった人にまで届いていることになる。

荻堂 麺好きが集まるラーメン屋から、ラーメン好きが集まるラーメン屋になるということですね。

小川 『ループ・オブ・ザ・コード』が出て、きっと多くの人が“スープが美味しかった”と言ってくれると思います。もちろん例外もありますが、小説家がいい作品を書くためには、そうやって売れなきゃいけないという側面があります。売れて、しっかりと物語に向き合うゆとりができて、ようやく思う存分小説が書けるようになる。逆にお金がなければ他の仕事もやらなきゃいけなくて、どんどん作品と対峙する余裕が失われていくかもしれない。僕は究極、好きな小説を書くだけで生きていきたいから、これからもストーリーラインを読者が好むように作っていきたいと思います。荻堂さんはもう次の作品の構想は決まっているんですか。

荻堂 弱者男性にスポットをあてながら、令和版の『少女革命ウテナ』を書きたいと思っているんです。これまでの二作はなんだかんだいって周囲の人に恵まれた主人公を書いてきたから、そうではない作品を書いてみたいとも思っています。

小川 『最強伝説黒沢』みたいで、いいですね。僕も10月にクイズをテーマにした『君のクイズ』(朝日新聞出版)という作品を出して、そのあと書物をテーマにしたものを書きたいと思っています。

荻堂 小川さんが描く「本」! おもしろそうです。

小川 お互い好きなものを目いっぱい書けるように、これからもがんばっていきましょう。

 ***

小川哲
1986年、千葉県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程退学。2015年、「ユートロニカのこちら側」で第3回ハヤカワSFコンテスト〈大賞〉を受賞しデビュー。『ゲームの王国』で第31回山本周五郎賞、第38回日本SF大賞を受賞し、『嘘と正典』では直木三十五賞候補になった。

荻堂顕
1994年、東京都生まれ。早稲田大学文化構想学部卒業。2020年、『擬傷の鳥はつかまらない』で第7回新潮ミステリー大賞を受賞しデビュー。様々な職業を経験する傍ら執筆活動を続け、現在は格闘技ジムに勤務しながら作家業に取り組む。

新潮社 小説新潮
2022年9月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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