『リベラリズムへの不満』
- 著者
- フランシス・フクヤマ [著]/会田 弘継 [訳]
- 出版社
- 新潮社
- ジャンル
- 文学/外国文学、その他
- ISBN
- 9784105073213
- 発売日
- 2023/03/17
- 価格
- 2,420円(税込)
書籍情報:openBD
『リベラリズムへの不満 (原題)LIBERALISM AND ITS DISCONTENTS』フランシス・フクヤマ著(新潮社)
[レビュアー] 森本あんり(神学者・東京女子大学長)
国の強制力が自由守る
プーチン大統領はリベラリズムを「時代遅れ」と断じてウクライナへ戦車を送り込んだが、リベラリズム批判は今に始まったことではない。第二次大戦中の神学者ニーバーに始まり、前世紀末にはサンデルが、最近ではデニーンやハゾニーといった保守派の論客が名を連ねている。
「歴史の終わり」を論じた時、著者はヘーゲル的な自己慶賀と批判された。しかし彼はその後も、直近の著書『アイデンティティ』に至るまで、リベラリズムの本質的な正当性について意見を翻したことがない。今日左右両派から向けられる批判はいずれも「連座制」による罪にすぎず、悪いのは極端化したネオリベラリズムとリバタリアニズムだ、という診断である。
古典的なリベラリズムは、宗教戦争後の寛容を軸に成立した。最も重要な事柄で合意する必要はなく、各人は自分でそれを決める自由があるが、他者への強要はできない。この寛容の原則に立つことが、多様性を平和裡(へいわり)に管理する最善の方法とされた。政府や他人に干渉されずに自分で人生の目的を決める能力は、万人に等しく与えられており、それが人間の尊厳の根拠となる。そしてこの自由が、投票権を介して民主主義と結びつき、市場経済や財産権と結びついて資本主義経済を発展させたのである。
ただし、その大前提は国の存在である。今日の左右両派は国民国家や政府の権力に懐疑的だが、自由や尊厳や平等といった価値を守るには今なお国家の強制力が必要である。国境や市民権や選挙権をむやみに開放すべきではない、という慎重な政治的判断もそこから導出される。
二〇世紀の歴史を見ると、リベラリズムは経済成長と社会保障、イノベーションや文化の原動力となってきた。中国の発展もトウ小平のリベラルな改革が原点で、現政権下の中国に移住したいと思う人は少ないだろう。さて、近代西洋に発したリベラリズムは、どこまで普遍的な価値として通用するだろうか。会田弘継訳。