文芸評論家がセレクトするハードボイルドミステリや児童文学から生まれた歴史時代小説の傑作

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  • 帆船軍艦の殺人
  • 存在のすべてを
  • ワイルドドッグ 路地裏の探偵
  • 主君押込 城なき殿の闘い
  • ダ・ヴィンチの翼

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ニューエンタメ書評

[レビュアー] 細谷正充(文芸評論家)

 文芸評論家・細谷正充が読書の秋におすすめするハードボイルドミステリや児童文学から生まれた歴史時代小説の傑作を紹介。

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 今月は新人のデビュー作から始めよう。岡本好貴の『帆船軍艦の殺人』(東京創元社)は、第三十三回鮎川哲也賞受賞作だ。一七九五年、フランスとの戦争により兵隊不足に陥っていたイギリス海軍は、強制的な方法で一般市民を徴兵していた。いわゆるプレス・ギャング(強制徴募)である。ソールズベリーの靴職人のネビル・ボートは、ある日、何人かの村人と一緒に強制徴募され、戦列艦ハルバート号の水兵にされた。身重の妻を想いながら、いやいや過酷な環境に慣れていくネビル。だが、殺人事件が相次いで起こり、ネビルは犯人として捕まるのだった。

 本書の主人公はネビルだが、殺人の謎を解くわけではない。いきなり放り込まれたハルバート号で、必死に生き残ろうとするだけだ。そのサバイバルが、大きな読みどころとなっている。では探偵役はというと、五等海尉のリチャード・ヴァーノンだ。艦長から事件の解決を命じられた彼は、調査と推理により真相に到達。帆船の構造を生かした犯人の行動など、この舞台ならではの仕掛けが楽しめた。謎や手掛かりの出し方に、もう少しハッタリがあってもいいと思うが、そのあたりの呼吸はこれから覚えていくはず。西洋史ミステリーの新たな書き手の登場を喜びたい。

 塩田武士の『存在のすべてを』(朝日新聞出版)は、ミステリーだ。平成三年に、同時に二人の児童が誘拐されるという事件が起きた。一人の児童はすぐに発見されたが、もう一人の児童は警察の必死の捜査にもかかわらず、行方も生死も分からないまま終わる。だが、その三年後、なぜか児童は祖父母の家に帰ってきた。空白の三年間に何があったのか。当時、事件の取材をしていた大日新聞記者の門田次郎は、帰ってきた児童が、今は如月脩という人気の写実画家になったことを知り、再び事件の真相を追う。

 この門田を主人公として、記者の矜持、刑事の執念、画壇の実態など、さまざまな題材が彫り込まれていく。その合間に、脩の高校時代の同級生で、曲折を経て画商になった土屋里穂の人生が描かれる。彼女のパートがあることで、物語に厚みが加わった。そして後半になると犯人側の視点で、空白の三年の真相が綴られていく。ここが最大の読みどころ。門田の調査によって、ある程度は察せられたが、まさかこれほどの“家族”のドラマが潜んでいたとは! 心が激しく揺さぶられる傑作である。

 鷹樹烏介の『ワイルドドッグ 路地裏の探偵』(ハルキ文庫)は、浅草を主な舞台とした探偵物語だ。主人公の松戸一郎は、浅草の遊園地「花やしき」の裏にある廃ラブホテルを住居兼事務所にしている便利屋だ。警視庁捜査二課の刑事だったが、知らないうちにヤバイ何かに触れたらしく、訳の分からないうちに懲戒免職になった。当時、松戸が集めたメンバーも、なぜか事故や不祥事により、死んだり失職したりしている。警視庁の元同僚・紅林拓海から仕事を貰いながら、腑抜けた態度を装っている松戸だが、密かに真相を調べ続けている。そんな松戸に、紅林が須賀田依美という高校を卒業したばかりの少女を、共同経営者として押しつけてきた。七年前、資産家の両親が失踪した事件を調べるため、警察官を目指した依美だが、身内にヤクザがいたため、最初から道が閉ざされていたのだ。しぶしぶ依美を受け入れた松戸は、彼女を鍛えながら、さまざまな事件に迫っていく。

 腑抜けを装っているが、まだ牙を隠し持っている。だが、牙は抜けかけているのではないか。そんな疑問と怖れを抱く松戸が、牙を剥き出しにしている依美とコンビを組んで、再びやる気を取り戻していく。師弟とも親子とも見える、二人の関係が注目ポイントだろう。もちろん事件の方も興味深い。些細に見えた事件から、現代日本の闇部が腐臭と共に立ち上がってくるのだ。私たちの日常のすぐ隣に、狡猾な犯罪と底なしの暴力が渦巻いている。そんな現実が伝わってくるからこそ、したたかな松戸と真っすぐな依美の活躍が、小気味いい。おそらくシリーズ化されると思うので、一日も早い続刊を期待している。

 辻井南青紀の『主君押込』(角川文庫)は、時代小説でお馴染みの“お家騒動”物だ。しかし内容は、実にユニークである。信濃国飯山藩は、主君の本多重元と、藩の実権を握る筆頭家老の田辺斎宮の対立が続いていた。そして主君押込──問題のある藩主を、家老たちが合議などにより監禁するクーデター──が起こる。田辺によって幽閉された重元だが、味方である郡方書役助の大竹五郎左衛門と共に脱出。藩内の山に逃れるのだった。

 主君押込は創作ではなく、鎌倉時代から始まり、江戸時代にも実例を見ることができる。そんな主君押込から始まる物語は、脱出した二人と、田辺の放った百人の追手との戦いへと突入する。実は元野生児だった重元が、多数の敵を相手にする方法は、まるでゲリラ戦。山中でのチャンバラが、たっぷりと堪能できた。とはいえストーリーはまだ半分。後半はなんと経済戦争に突入するのである。お家騒動を、次々と物語のトーンを変えながら進めていくところに、本書独自の魅力が感じられた。

 上田朔也の『ダ・ヴィンチの翼』(創元推理文庫)は、十六世紀のイタリアを舞台にした歴史ファンタジーだ。デビュー作『ヴェネツィアの陰の末裔』と通じる部分もあるが、ストーリー自体は独立している。本書が気に入ったなら、遡って読んでみるといいだろう。

 フィレンツェ近郊の森の中の村外れで一人暮らしをしている十三歳のコルネーリオは、瀕死のアルフォンソという男を発見し、特別な治癒能力で助けた。アルフォンソは、フィレンツェ共和国の軍事九人委員会の委員で芸術家のミケランジェロ・ブオナローティに仕える密偵の一人。ハプスブルクとバチカンがフィレンツェに戦争を仕掛けようとしており、これに対抗するためレオナルド・ダ・ヴィンチが隠した兵器の設計図を仲間と共に探していたが、敵に襲われたのである。複雑な状況に巻き込まれたコルネーリオと、かつて彼が助けた聡明な少女のフランチェスカは、アルフォンソたちと共に設計図を探す旅に出る。

 コルネーリオがアルフォンソを助ける冒頭から、物語はノン・ストップで疾走する。強敵との戦いや、ダ・ヴィンチが残した暗号の解読など、読者の興味を惹くフックの強度が抜群であり、先へ先へとページを捲ってしまう。世界の広さと残酷さを知る少年少女の冒険譚と、きっちり書き込まれた大人たちの人生が味わい深い。また、設計図の隠し場所そのものが、戦争に抗う文化の力というテーマに直結している点も高く評価したい。新人らしいフレッシュな意欲作だ。

 佐野洋の『見習い天使 完全版』(ちくま文庫)は、ミステリーの連作短篇集。見習い天使が人間界の事件や騒動を見ており、稀にちょっかいを出したり説明したりするという、ファンタスティックな設定が面白い。殺人事件を扱った作品もあるが、全体のイメージは洒落たコントといったところか。各話の枚数が短いこともあるが、時代風俗を削ぎ落とし、あえて人物を“駒”として使うことで、普遍性を獲得している。昭和ミステリーの巨匠の、隠れた名作が一冊で読める完全版として復活したことを喜びたい。編者の日下三蔵は、相変わらずいい仕事をしている。
 
 ところで近年、児童文学で優れた歴史時代小説が次々と刊行されている。二冊ほど紹介しよう。まず、東曜太郎の『カトリと霧の国の遺産』(講談社)だ。第六十二回講談社児童文学新人賞佳作を受賞したデビュー作『カトリと眠れる石の街』に続く、シリーズ第二弾である。物語の舞台は、十九世紀後半のスコットランドのエディンバラ。金物屋の娘のカトリは、前作の「眠り病事件」を切っかけに、研究者を志し、博物館で働き始めた。しかし、自分の選んだ道が正しいのか迷っている。そんなとき、博物館に寄贈された六~七世紀頃のビザンツ帝国の遺産が、騒動を巻き起こす。展覧された寄贈品を見物に来た人が、次々と失踪したのだ。そしてカトリも寄贈品の本に記述されている、霧の国に囚われるのだった。

 元気一杯だが、未来に不安を抱えているカトリ。とんでもない事件を通じて、自分の進む方向を決める少女の姿が爽やかだ。失踪したカトリを捜す、友人たちの行動も楽しい。こういう作品には、小学生の頃に出合いたかった。また、エドガー・ベルという外科医が登場するが、シャーロック・ホームズのモデルと言われるジョセフ・ベルを意識したキャラクターでもあるのだろう。こういうお遊びも愉快である。

 富安陽子の『博物館の少女 騒がしい幽霊』(偕成社)も、シリーズ第二弾だ。時は
時は明治十六年。前作『博物館の少女 怪異研究事始め』で、古物商の両親を相次いで亡くし、東京にやってきた十三歳の花岡イカル。上野の博物館を訪れたときに、目利きの才能を館長に認められ、博物館の古蔵で怪異の研究をしているトノサマこと織田賢司の手伝いをすることになり、不思議な騒動にかかわっていった。

 それから数ヶ月。新たな騒動の舞台は、陸軍卿の大山巌の屋敷である。山川捨松が後妻になってから、屋敷でポルターガイスト現象が続発しているというのだ。事態究明のためイカルは、巌の幼い娘たちの教育係として、屋敷に乗り込む。教え子となる信子や芙蓉子と、すぐに仲良くなるイカルの明るいキャラクターが魅力的。一方で、奉公人が殺されたり、過去の殺人事件が関係してきたりと、ストーリーが錯綜。その果てに暴かれる真相は、二つのジャンルをクロスオーバーさせたものであった。これ以上詳しくは書かないが、多くの優れた児童文学と同じく、大人が読んでも楽しめる作品なのである。

角川春樹事務所 ランティエ
2023年12月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

角川春樹事務所

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