「実在の地方を舞台」にした歴史や文化、生活習慣が物語を深めている小説【書評家が厳選】

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  • アンと幸福
  • 100年のレシピ
  • をんごく
  • 抜け首伝説の殺人
  • 横浜コインランドリー

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ニューエンタメ書評

[レビュアー] 大矢博子(書評家)

 書評家の大矢博子が、実在の地方を舞台にしたエンタメ小説を紹介。

 ***

 この秋に出た話題作を読んでいて、あることに気づいた。

 たとえば日光が舞台の京極夏彦『鵼の碑』。秋田が重要なモチーフになる加藤シゲアキ『なれのはて』。七十歳の女性ふたりが信州で新生活を始める井上荒野『照子と瑠衣』。

 具体的な、実在の地方が舞台なのだ。その場所だからこその歴史や文化、生活習慣が物語を深めている。観光情報小説という意味ではなく、そこに生まれ、暮らしを重ねてきたリアルな生活感が物語の背骨になっているのだ。

 登場人物が、そこにいる。そこで暮らしている。その地方ならではの背景が見えてくる。

 そう意識しはじめると、おやおや、今月の新刊にも「その地方ならでは」の物語がたくさんあるじゃないか。

 まずは坂木司『アンと幸福』(光文社)。デパ地下に出店している和菓子屋「みつ屋」のアルバイト店員、アンちゃんのシリーズ四作目である。

 頼りになる店長が前作で異動となり、新しい店長がやってきた。そしてアンにも大きな転機が……というシリーズならではの登場人物の変化や成長が読みどころなのはもちろんだが、やはりこのシリーズは美味しそうな和菓子の数々と、それをきっかけに浮かび上がる和の文化を知るのがとても楽しい。俳句の季語に合う和菓子って何? 店長が上生菓子よりどら焼きを客に勧める真意は? 読みながら「へえ」と驚いたり「なるほどねえ」と感心したり。

 え、どこに地方が出てくるかって? 意外なところに出てくるんですよこれが。甘いお菓子を買いたいはずなのに「からいもん」を注文したり、いきなり機関車の名前を出したりするお客さんがいるのだ。いやあ、日本語って面白い。

 そして最終話ではアンちゃんが和歌山に行き、和歌山のお菓子にまつわる神事が紹介される。何より和歌山のお菓子や料理の描写が! 彼女が泊まったホテルや訪れた場所に行きたくなること必至である。アドベンチャーワールドのパンダ肉まん、食べたい。

 美味しいものつながりで、友井羊『100年のレシピ』(双葉社)も挙げておこう。百歳で大往生した有名な料理研究家の人生を、曽孫と女子大生のコンビが取材する。現代に始まり、関係者のインタビューに沿って二〇〇四年、一九八五年、一九六五年、一九四七年と時代が遡っていく。それぞれの時代に料理研究家がどう食事と向き合ったのか、その当時の食にまつわる問題や、台所を預かる者の苦労がミステリ仕立てで綴られるという趣向で、実に読み応えがある。

 中でも感じ入ったのは、高度経済成長期を描いた一九六五年の章だ。この頃に台所に立ち始めた主婦たちは親を戦争で亡くしていたり、子供時代が戦中戦後と重なってろくな食事をしていなかったりして、代々伝えられてきた家庭の味が断絶の危機にあった、というくだりに愕然とした。さらに外国から新しい食材や新しい料理が紹介され、それまでの料理法や調理器具では賄えないような料理を家庭で求められるようになった。それで料理教室が誕生したというエピソードには深く納得した。

 本書にも地方によって食文化が違うという話が登場する。もちろん、時代によっても違う。そちらがメインだ。現代の章ではコロナ禍が描かれるが、では二〇〇四年頃には何があったか。バブル期の食生活とはどういうものだったか。読みながら当時がまざまざと思い出された。本書を読めば、台所を預かる人への感謝がいや増すに違いない。

 がらっと雰囲気を変えて、北沢陶『をんごく』(KADOKAWA)を。第43回横溝正史ミステリ&ホラー大賞・読者賞・カクヨム賞をトリプル受賞した注目のデビュー作だ。

 舞台は大正末期の大阪・船場。画家の壮一郎は、ケガが元で落命した妻の倭子を忘れられず、巫女に降霊を頼む。しかし降霊はうまくいかない。奥さんは普通の霊とは違うと言うのだ。どうも自分が死んだことに気づかず、さまよい続けているらしい……。

 この物語が面白いのは、そんな死を自覚していない霊を食べる存在がいること。顔を持たないのっぺらぼうで、妙な襟巻きをしているため壮一郎はエリマキと呼んでいる。

 そのエリマキが倭子の霊を食べることで事態を解決しようとする、つまりはゴーストバスターズ小説である。が、ゴーストバスターズという表現は軽やか過ぎる。本書の魅力は何といってもこの文章だ。船場言葉の会話がとてもゆったりとしていて、湿り気があって、えも言われぬ雰囲気がある。妻を亡くした悲しみや喪失感、不気味な霊として帰ってきた妻に対する恐怖だけではない複雑な感情。船場言葉で綴られる壮一郎の思いは、まるで詩を読んでいるかのように読者の胸に沁みていく。

 特別な場面だけではない。家事に関する女中の何気ない日常の会話。巫女の、突き放したような中にも思いやりのある言葉。ユーモラスな掛け合いも、クライマックスでの幽霊との格闘も、船場言葉で読むとなぜか「この人たちは本当にここにいる」と感じられてしまうのである。この筆力は武器だ。なんとも楽しみな新人が登場したものである。

 もうひとつ怖い話を。白木健嗣『抜け首伝説の殺人 巽人形堂の事件簿』(光文社)は、生首が空を飛んで追いかけてくるという恐ろしいプロローグから始まる。ただこちらは本格ミステリなので、ちゃんと理に落ちた解決が待っている。

 舞台は三重県の四日市市。江戸時代から続く酒造会社の主人が殺された。胴体は布団の中に寝かされ、首は酒蔵で発見されるという猟奇事件だ。たまたま、からくり人形修復のためにこの家を訪れていた人形師の巽藤子が謎を解く。

 二〇二一年に『ヘパイストスの侍女』で第14回ばらのまち福山ミステリー文学新人賞を受賞した著者の、デビュー二作目である。人物描写や文章にはまだこなれない部分もあるが、四日市という土地の使い方が実に上手い。名古屋在住の書評家としてはこれは紹介せずにはいられない。

 四日市には、大入道──おおにゅうどうではなく、おにゅうどうと読む──というからくり人形を載せた山車がある。男性版ろくろ首のようなもので、首が伸びたときの高さが七メートルを超える日本最大のからくり人形だ。製作は江戸時代というからすごい。

 製作の経緯は不明なのだが、それを著者は物語に組み込んだ。さらに四日市は地下水が豊富で酒造業が盛んなこと、そしてこれはネタバレになるので具体的には書かないでおくが、江戸時代のこの地方の出来事も作中に登場する。著者は四日市出身だそうで、なるほど、地元のあれとこれをこうつなげたのかとにやにやしてしまった。四日市はコンビナートだけじゃないのだ、という著者の郷土愛が?っている。まあ、そこで殺人が起きるんだけど。それはいいのか。

 ちなみに大入道は子どもが泣くレベルの気持ち悪さだが、そこから派生したゆるキャラのこにゅうどうくんは可愛いので検索してみてください。

 泉ゆたか『横浜コインランドリー』(祥伝社文庫)は疲れた人にぴったりの元気が出る小説だ。就職した不動産会社が予想以上にブラックな職場で、物件を無責任に勧める罪悪感に苛まれて退職した茜が主人公。しばらく何もする気が起きなかったが、洗濯機が壊れたことで近くに見つけた「ヨコハマコインランドリー」へ向かった。そこはコーヒーが飲めるスペースもある、ちょっとおしゃれな場所。経営者の真奈に癒され、汚れ物がきれいに気持ちよく生まれ変わるのを体験した茜は、この「ヨコハマコインランドリー」でアルバイトを始める。

 茜がこのコインランドリーで出会った人々との交流や、お客さん個々の人間ドラマが読ませる。家事をすべて担っていた妻が急死し、洗濯の仕方すらわからない夫。けれどプライドが邪魔をして娘にも店員にも尋ねることができない。あるいは、離婚したばかりのシングルマザー。自分一人で幼い娘を育てるのだと気負いが強すぎて、心にゆとりが持てない。あるいは家に居場所がなく、ランドリーのWi─Fi目当てに店の前に座り込む少年。セクハラど真ん中の会話を仕掛けてくる常連。

 そんな人々が、洗濯という行為を通して、少しずつ変わっていく。そして茜もまた、変わっていく。洗濯物と一緒に心も洗われるような物語なのだ。だが終盤、話は意外にシビアなテーマを孕んでいたことがわかる。洗濯という当たり前の家事が実はとても大事であることを教えてくれる一冊。ちなみに中華街のお弁当がめちゃくちゃ美味しそうである。

 他にも、乾ルカ『葬式同窓会』(中央公論新社)は恩師の葬儀で北海道に帰った元同級生たちの群像劇、望月麻衣『京都東山邸の小鳥遊先生』(ポプラ社)は京都が舞台のラブコメ、夏川草介のハートフルな医療小説『スピノザの診察室』(水鈴社)も同じく京都の話、などなどご当地小説がたくさん出ている。そうそう、京都といえば来年の大河ドラマを見据えた紫式部関連の小説も出始めたぞ。『君を恋ふらん 源氏物語アンソロジー』(角川文庫)は瀬戸内寂聴や永井路子といった大御所から澤田瞳子まで、源氏物語関連の既出の短編を集めたアンソロジーだが、永井紗耶子の作品だけは書き下ろし。ここでしか読めないのでファンはチェックだ!

角川春樹事務所 ランティエ
2024年1月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

角川春樹事務所

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