<書評>『万物の黎明』デヴィッド・グレーバー デヴィッド・ウェングロウ 著

レビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

万物の黎明

『万物の黎明』

著者
デヴィッド・グレーバー [著]/デヴィッド・ウェングロウ [著]/酒井隆史 [訳]
出版社
光文社
ジャンル
歴史・地理/歴史総記
ISBN
9784334100599
発売日
2023/09/21
価格
5,500円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

<書評>『万物の黎明』デヴィッド・グレーバー デヴィッド・ウェングロウ 著

[レビュアー] 栗原康

◆主従なき遊戯の集団

 どうしたら愉快に生きられるのか。人類史とはその実験の軌跡にほかならない。それが本書の核心だ。

 これまで、ぼくらは農耕の誕生によって文明国家が生まれたと教えられてきた。人類は飢餓から解放され、豊かになった。その半面、欲深くなって争いが生まれ、国家による統治が必要になった。かつて狩猟採集民は平等な生活を送っていたが、それは少数のピュアな人間しかいなかったからだと。

 本書は言う。ぜんぶウソ。そもそも農耕を始めたのは狩猟採集民だ。川が氾濫し、土が肥えたら種を撒(ま)く。作物が採れる。うまい、楽しい、簡単だ。でも乾期になると農耕は大変。もうやめた。季節によって柔軟に生きるのだ。

 それに狩猟採集民だってモメるのだ。きほん他人に服従を強制しないだけである。王の命令? 法律? 意に沿わないことはやらなくていい。なにかあれば納得するまで話しあう。リーダーはいる。首長は誰にでも命令できる。だけど誰一人として従わなくていい。おまえが決めろ。自由じゃなければ愉快じゃない。

 トップダウンを強いるときもある。例えば乾期。危機を乗り越えるために首長が王のように振る舞う。だがそれは一時のこと。雨期になれば、元の支配のない状態に戻っていく。農耕と同じだ。季節にあわせて柔軟に集団のあり方を変えていく。むしろずっと単一の政治形態のほうが非効率なのだ。

 そう考えると「王」の正体も見えてくる。本当は一年にひとり、一時的に王の役を演じていただけなのだ。まるで遊戯でも楽しむかのように。なのに稀(まれ)にマジになってしまう奴(やつ)がいる。年がら年中、危機を煽(あお)って権力を手放さない。権力者はとんだ勘違い野郎なのだ。だけどいまその命令に従うことが常識であるかのように言われている。

 どうしたらいいか。遊ぶしかない。おもしろそう。やっぱりやめた。命令されても言うことをきかない。遊戯の人類史を取り戻そう。やりたいことしかもうやらない。万物の黎明(れいめい)とは何か。ああ愉快なり。

(酒井隆史訳、光文社・5500円)

グレーバー 人類学者、2020年死去。

ウェングロウ 考古学者。

◆もう1冊

『黙々 聞かれなかった声とともに歩く哲学』高秉權(コビョングォン)著、影本剛訳(明石書店)

中日新聞 東京新聞
2023年12月10日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

中日新聞 東京新聞

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク