落語の世界の人気者、与太郎が教えてくれる「流れに巻き込まれてみる」ことの大切さ

レビュー

4
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なぜ与太郎は頭のいい人よりうまくいくのか

『なぜ与太郎は頭のいい人よりうまくいくのか』

著者
立川談慶 [著]
出版社
日本実業出版社
ジャンル
芸術・生活/諸芸・娯楽
ISBN
9784534054968
発売日
2017/05/18
価格
1,512円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

落語の世界の人気者、与太郎が教えてくれる「流れに巻き込まれてみる」ことの大切さ

[レビュアー] 印南敦史

「与太郎」といえば、誰もが知っている落語界の名物キャラクター。間抜けな失敗をしでかす「バカの代名詞」として知られています。ところが、実際のところ与太郎はバカではないと主張するのは、『なぜ与太郎は頭のいい人よりうまくいくのか 落語に学ぶ「弱くても勝てる」人生の作法』(立川談慶著、日本実業出版社)の著者です。

1991年に立川談志18番目の弟子として入門し、2005年に真打ちへ昇進した人物。そもそも師匠にあたる立川談志が、「落語は人間の業の肯定。与太郎はバカではない」と、与太郎の汚名返上の活動を、著書や講演を通じて説き続けたのだとか。つまり本書ではその志を引き継ぎ、与太郎の生き様やスタンスに焦点を当てているのです。

著書『「めんどうくさい人」の接し方、かわし方』では、「フリ」が常識、「ボケ」が知性、そして「ツッコミ」が正論という三段論法で笑いが起きる仕組みを書きました。この図式は、ある面、バランスの取れた会話のフォルムでもありました。

ところが、ネットの世界で「ショートカットが当たり前」になるということは、「常識」と「正論」がリンクすることを意味します。

会ったこともない芸能人の失言への一般人からの「ツッコミ」は、その代表例です。

怖いのは、それが善意やら正義感に基づいている点です。

今まで「フリ」「ボケ」「ツッコミ」と3つで調和がとれていた会話が、「ショートカットが当たり前」になった結果、「フリ」と「ツッコミ」とが結びついた、より強い「ツッコミ」となって、立場の弱くなった「ボケ」に向かってゆくのです。

こうなると、「ボケ」の復権のためには、「ボケは知性」だなどという「知識偏重」の弱々しい立場では到底太刀打ちできません。青白いガリ勉は、ビルドアップしなければいけないのです。(15ページより)

そこで著者は、「ボケは冒険だ」と定義したいのだといいます。冒険は知性だけではできない行為。「知力・胆力・愛嬌」という、「異性からモテるための3要素」がないと成立しないというのです。

そして、この「知力・胆力・愛嬌」に、「与太郎はバカじゃない」という談志の論点を加えると、古典落語における「ボケ」の体現者である与太郎は、「異性からモテる3要素」を兼ね備えていることがわかる。そこには、現代人が応用できる「生き方のコツ」が隠れているというわけです。

第1章「与太郎はなぜ愛されるのか 〜落語の名物キャラ、かく語りき〜」から、与太郎が愛されるいくつかの理由を引き出してみたいと思います。

与太郎は、優しい

「優しさ」は「人を憂う」と書きますが、著者は優しさとは「受け入れ力」ではないかと考えているのだそうです。それは発信者サイドではなく、受信者サイドに立てる能力といいかえることも可能。置かれた環境を受け入れて対応する人には優しさを感じるということで、そういう意味において与太郎は本当に優しい男なのだそうです。

そして、その好例としてここで取り上げられているのが「孝行糖」という落語です。少し長いのですが、ストーリーを引用してみましょう。

奉行所から、「大変なる親孝行」と与太郎が賞賛され、褒美として「青挿し五貫(あおざしごかん 筆者注:親孝行や忠義者に与えられた報奨金)」のお金をもらいます。長屋の大家さんたちは、「与太郎にそんな金を渡したら、使い切ってしまい、それっきりになる」と案じました。

そこで、「その昔、歌舞伎役者の嵐璃寛(あらしりかん)と中村芝翫(なかむらしかん)の顔合わせが評判を呼んだ時に、『嵐璃糖』と『芝翫糖』という飴を売って儲かった人がいる。今回孝行で褒められてお金をもらったのだから、「孝行糖」という名前で、鐘と太鼓を携えて派手な衣装を身にまとって飴屋を始めさせたらどうか」と提案します。

ならばいっそ売り声もにぎやかにしようと、

「孝行糖、孝行糖、孝行糖の本来は、うるの小米(こごめ)に寒晒(ざら)し、カヤに銀杏、ニッキに丁子、チャンチキチン、スケテンテン、テンドコドン、昔々、唐土(もろこし)の、老莱子(ろうらいし)といえる人、親を大事にしようとて、こしらえあげたる孝行糖。食べてみな、おいしいよ、また売れたったら嬉しいね。テンテレック、スッテンテン」

という調子を覚えさせて売らせてみようということになります。すると、「この飴を食べさせれば親孝行な子どもになる」と評判を呼んで、飛ぶように売れるようになります(実際、親孝行な与太郎が売るのですから説得力を持ったのでしょう)。

与太郎は持ち前の「バカ正直」を発揮し、雨の日も風の日も毎日毎日売りに歩くのですが、ある日、「鳴り物一切厳禁」という水戸様の武家屋敷の前でこれをやってしまったからたまらない。門番の逆鱗に触れ、六尺棒でうち据えられてしまいます。

そこへ通りがかった人に助けられ、「お前、どことどこを打たれた?」と聞かれると、すかさず打たれたところを泣きながら指さし、「こうこうとー、こうこうとー(ココとココ)という見事なオチのセリフを吐きます。(19ページより)

「儒教」を徹底させ、庶民に親孝行を奨励したのが江戸時代。そうしたほうが封建制度をより安定化させられるという配慮からでしょうが、与太郎は「バカ」なので、親孝行の限度を知らない。だから、一般人以上の親孝行ができたということです。

とはいえ談志がいうように、「バカ」ではこんなに長い売り口上を覚えられるはずがありません。しかも「バカ」だったとしたら、痛みに耐えながら鮮やかなシャレをいうなどという知性はないはず。

だから、やはり与太郎は「ただものではない」ということです。たしかに並みの神経の小物だったら、「そんな格好して、しかも調子を要求されるような大声まで出して売りに歩くなんて」と、「常識」に縛られてしまっていたはず。しかも「多大なる売上」という「結果」まで出してしまうのですから、それは評価に値します。

著者はこの落語を聴くたびに、「愚直の素晴らしさ」を教えてもらっているような気分になるのだそうです。いい意味での「バカ」に徹した人には「商売の神様」が微笑むということで、その精神は松下幸之助にもつながるといいます。そこで、常識というリミッターを外したいのなら「バカ」にならないといけないというのです。

与太郎から学ぶ「巻き込まれ力」

おわかりのとおり、「孝行糖」は与太郎の「愚直さ」を訴えた噺です。

・ お上の想定した基準以上の親孝行をした「愚直さ」

・ 本来自分が好き勝手に使っていいはずのご褒美でもらった「青挿し五貫」を使わせなかった大家さんらのアドバイスを受け入れた「愚直さ」

・ その「報奨金」で「商売」をさせられることに反抗もしない「愚直さ」

・ 「派手な格好と売り声」で黙々と飴屋をやらされる「愚直さ」

・ 雨の日も風の日も休まずやり続ける「愚直さ」

・ 「鳴り物禁止」の武家屋敷でも堂々鳴り物をやって売り続けてしまう「愚直さ」

・ 六尺棒で叩かれ、激痛で泣きながらもあっぱれなオチを言ってのける「愚直さ」

(23ページより)

そもそも「孝行糖」に限らず、与太郎が出てくる噺は、彼の「愚直さ」に周囲がほだされて話が進むケースがほとんど。それはともかく、巻き込まれる状況を与太郎サイドから見つめると、「ただ巻き込まれているだけ」という構図が浮かび上がってくるといいます。

「孝行糖」を売るため、町内の人が寄ってたかって演出からコスチュームまでを画策するわけですが、それは本人が自ら望んだ売り方ではないはず。なのに与太郎は反発もせず、ひたすら受け入れて「愚直」に取り組むわけです。つまり与太郎は、「巻き込まれキャラ」だということ。長年その言動から培われてきたキャラなので、推しもされもしない不動のキャラでもあるといいます。

自主性がないといってしまえばそれまでですが、ときに巻き込まれる、流れに逆らわずに身をゆだねることも大切。そして、それはなかなかできることではありません。なぜならそのような行為は、他者を完全に信じていないとできないことだから。

与太郎も同じで、(本当はめんどうくさかったとしても)大家さんや親類のおじさん、長屋の衆のいうことを拒否してこなかったのは、ずっとその優しさを信じていたから。つまり「巻き込まれキャラ」であると同時に、「完全信用キャラ」でもあるというのです。

偏屈で頑固な考えなど、まったくなかったのが与太郎。現代ならいじめられてもおかしくない立ち位置にいるはずですが、落語のなかで与太郎は絶対にいじめられないのだそうです(ちなみに著者は、これが落語のすごいところだとも記しています)。

「自分をいじめる奴がいない」という与太郎の信頼が周囲をそうさせたのでしょうか、もともといじめをする環境がなかったから与太郎はいじめられなかったのか、おそらくその両方のはずでしょう(万が一いじめられたとしても、そう感じないのが「愚直さ」を備える与太郎の個性だと思いますが)。(26ページより)

いまの世の中では、誰もが主導権を握りたがる風潮があると著者は指摘しています。もちろん最低限の主導権は自ら握るべきでしょうが、時として「主導権を相手に握らせてみる=流れに巻き込まれる」というしなやさかも必要なのではないか? 著者はそういいます。もっといえば与太郎の場合、「主導権を相手に握らせながら、自らが主導権を握っている」という高度な生き方を実践しているかのように見えてしまうのだとか。

また、与太郎は決して野暮なセリフを吐いたりはしませんが、がんばりすぎの現代人を見たら、「もっとまわりを信じてみたら?」ぐらいのことは、優しく耳元で囁いてくれるはず。著者はこの項を、そう締めています。

本書では与太郎のことを意図的に「バカ」と表現していますが、それは決して侮蔑的な意味ではありません。それどころか根底にあるのは、与太郎に対する深い愛情。だからこそ、本書で紹介される彼の考え方や言動が、深く心に染み込んでくるのです。読み終えたころには、暖かい気持ちになっているはずです。

メディアジーン lifehacker
2017年5月24日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

メディアジーン

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