『合成生物学の衝撃』
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人工生命体は天使なのか悪魔なのか
[レビュアー] 鈴木裕也(ライター)
本書の帯に「コンピュータ上で設計された生命がすでに誕生している」とある通り、祖先からの遺伝子を引き継いでいない“親のいない”人工の生命体が二〇一六年に誕生した。創り出したのは、ヒトゲノム解読で有名な孤高の科学者、クレイグ・ベンターだ。生命の維持に欠かせない最小限度のゲノムとは何かを追究する研究を二〇年続け、ついにテクノロジーから生まれた生命体「ミニマル・セル(最小細胞)」を生み出した。
はたして、この人工生命体はどのような試行錯誤の末に生まれたのか。何を栄養にして生きているのか、どのように個体数を増やしていくのか。さらに、もしも自然界に解き放たれたら、外来種のように急速に個体数を増やすのか――。私は本書を見た瞬間から、誕生してしまった合成生物の生態や誕生秘話を掘り下げた本になると思い込んでいたが、その期待はかなり裏切られることになる。もちろん、良い意味でだ。
合成生物学は、簡単に言えば、新たな生物を人工的に創り出そうという学問で、最もホットな研究分野とされる。ゲノム情報がデジタル化されたことと、画期的な遺伝子編集技術が開発されたことで、手軽で安価なものとなり注目された。二〇一七年にはこの分野関連の企業五〇社が一七億ドル以上の資金を調達した。
現在、この学問の主流は、マサチューセッツ工科大学の工学者らが率いる「生物学の工学化」の流れ。トランジスタやシリコンチップに代えてDNA配列と細菌を使って設計図どおりの“生物マシン”を作る試みだ。学生たちはカフェでノートパソコンを開き、専用のソフトウエアを使って自在に遺伝子配列を設計したものをDNA合成会社に送る。合成会社は、送られてきたデジタル情報に基づいて、DNAを合成する。出来上がった合成DNAを大腸菌に組み込み、うまく機能するかどうかが調査される。
合成生物学のメリットは計り知れない。人類を悩ませ続けてきた伝染病を一掃できるかもしれないし、新薬など有用物質の開発も容易になるかもしれない。しかし、その半面で生物兵器を含む多くの倫理的問題も孕んでいる。大宅賞受賞作家の著者の問題意識も、そこにある。巨額の研究資金を拠出する米国防総省の「DARPA」という機関に入り込み、その目的や安全性を追及する。旧ソ連の生物兵器開発者を取材したかと思えば、生物集団の遺伝子を素早く改変できる遺伝子編集技術「遺伝子ドライブ」の可能性と危険性を徹底的に調べていく。もちろん、ミニマル・セルの生みの親のベンター博士にも取材した。
合成生物学の最前線と、その問題点を追及した、読む価値のある一冊で、私は読後、興味本位だった自分を反省してしまった。