元祖ポップカルチャーの聖地の秘密に迫る「『湘南』の誕生」

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元祖ポップカルチャーの聖地の秘密に迫る「『湘南』の誕生」

[レビュアー] 足立謙二(ライター)

 テレビドラマやアニメの熱烈なファンが作品の舞台になったご当地を訪ねる“聖地巡礼”は、いまや新たな旅行のスタイルとしてすっかり定着し、地域おこしや海外からのインバウンド効果の手段として広く使われるようになりました。その起源はいつ、どこから始まったのかは様々な見方があると思いますが、日本におけるその元祖的な地域の一つが“湘南”ではないでしょうか。

辻堂海岸
辻堂海岸

 東京から電車で1時間足らず、青い海と白い砂浜が広がり、温暖な気候に恵まれた神奈川県・相模湾沿岸部の一帯は、明治時代から一大リゾート地として注目を集めてきました。そして、風光明媚なこの一帯を発信地に、小説や映像作品、マンガ、音楽と、数え切れないほどのコンテンツが生まれ、時代ごとの空気を醸し出してきたのはご存知の通り。

 そんな、湘南とそれにまつわる数多の作品群との関係から、この地域ならではの空気の秘密に迫ろうというのが「『湘南』の誕生 音楽とポップ・カルチャーが果たした役割」という一冊です。

 サザンオールスターズ、ユーミン、加山雄三、「太陽の季節」、「狂った果実」、「湘南爆走族」、「ホットロード」、「湘南乃風」、「海街diary」、更に最新のところでは「青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない」などなど。湘南という地名から頭に浮かぶネームは人によって違いはあれど、時代ごとの空気に育まれ、日本の文化の一部を形成してきたと言っていいでしょう。

逗子海岸の太陽の季節記念日
逗子海岸の太陽の季節記念日

 著者の増淵敏之氏は、湘南ではなく北海道出身ですが、様々なコンテンツと観光との関係を研究する、まさに聖地巡礼のエキスパート的存在。音楽畑での関わりが長く、昭和、平成と奏でられ続けてきた“湘南サウンド”や湘南にまつわる映像作品への関心も強く、本書に登場する作品数は膨大です。これほどまでに湘南にまつわる作品が存在したのかと改めて驚かされます。

 この中でまず増淵氏が強調するのは、「湘南」とはイメージである、という視点です。

 そもそも湘南とはどこを指すのか? 神奈川県中西部の海岸に面した一帯をそう呼ぶことに異論はないにせよ、東は鎌倉や葉山まで入るのか、西は小田原も含まれるのか、内陸はどこまで湘南を主張していいのか? 自治体の単位や車のナンバープレートの区分けだけでは微妙に違和感を覚えてしまうのが湘南の悩ましいところ。一時期、周辺地域を併合して政令指定都市にしようという“湘南市構想”が議論されたこともありましたが、最終的に折り合いはつかなかったようです。

葉山のマーロウ
葉山のマーロウ

 結局のところ、きれいに線で引いたような正確な答えなどはなく、人々が抱くイメージに委ねられるというわけです。以前、サザンオールスターズの桑田佳祐さんが、同じ湘南サウンドを代表するイメージの強いTUBEをさして「あいつらは“湘北”だ」といじったとの噂を耳にしたことがありますが(TUBEのメンバーは厚木など内陸部出身)、細かい地域分けに詳しくない人からしたら些末なことに過ぎないでしょう。

 この本では、文面そのものには湘南の二文字こそ言及がない鎌倉文士の作風にも、少なからず湘南海岸の雰囲気が細部に漂っているケースが見受けられると指摘しています。すなわち、湘南が醸し出すイメージの正体とは、誰かによってこうだと決められたものではなく、明治以降から現代までにこの地域で生まれてきた文学や映像作品、マンガ、音楽といった無数のコンテンツが生み出し、それを受け止めてきた多くの人々の想像の中で育まれた比較的曖昧なものだということなのでしょう。

 そして、それらコンテンツの下地になっているのは、湘南に古くから住居や別荘を構える富裕層、サーフィンやヨットセーリングなどマリンスポーツに憧れて訪れるようになった若者層、さらに「湘南爆走族」や「ホットロード」などの作品に惹かれて海岸通りを駆け抜けるようになったいわゆるヤンキー層という、三層構造だと著者は指摘しています。この三層構造が複合的に絡み合い、単に具体的な土地の名称にとどまらない“湘南”という他に類を見ない多面的な文化を形成しているのだと語っています。

 新たな時代を迎え、メディア環境は著しく変化している現代。コンテンツの発信方法もクロスメディア化が常識化している中で、複雑に絡み合いながら育まれてきた湘南というイメージの伝わり方も、これまでとは違うものになる一方、その存在は改めて重要視されることになるだろうと増淵氏は予見しています。そんな来るべき時代を踏まえ、今の視点からみる“湘南”とはどんなものであるか、それを確かめる鍵の一つがこの一冊であると言えそうです。

リットーミュージック
2019年3月18日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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