【自著を語る】遺品と遺構で伝える原爆悪の実相――江成常夫『被爆 ヒロシマ・ナガサキ いのちの証』

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被爆

『被爆』

著者
江成 常夫 [著]
出版社
小学館
ジャンル
芸術・生活/写真・工芸
ISBN
9784096822906
発売日
2019/06/28

書籍情報:版元ドットコム

遺品と遺構で伝える原爆悪の実相

[レビュアー] 江成常夫(写真家・九州産業大学名誉教授)

戦後日本人の現代史認識を写真で問い続けてきた、写真家・江成常夫さん。新刊『被爆 ヒロシマ・ナガサキ いのちの証』は、広島平和記念資料館と長崎原爆資料館の協力のもと、10年にわたり被爆者の遺品と、現在も残る遺構を収めた一冊。熱線と爆風を浴びて原形をとどめない遺品の数々を写真に収める中、原爆の恐ろしさを後世の人々に正しく伝えたいという著者の強い想いが伝わってくる。

 ***

 過去の過ちは未来への教訓にほかなりません。

 アジア太平洋戦争の現地を巡り、戦没した人たちの鎮魂を胸に、戦後日本人の現代史認識を写真で問い続けてきました。その仕事の文脈のもと被爆地「ヒロシマ・ナガサキ」に足を運び四半世紀になります。

 一九四五年八月六日、九日、広島、長崎では爆心地の地表は三千~四千℃にも達し、そのもとで人間は蒸発し、陶器は熔け屋根瓦は火ぶくれを起こしています。そして音速を超える爆風は家屋を薙ぎ倒し、そこに猛火が襲い街は灰燼に帰しました。

 人間が犯したこの狂気の罪をどう写真に託し後の世に語り継ぐか──、その手だてとして、心身に傷を負った人たちを一人ひとり訪ね、悪夢の記憶を呼び戻してもらいました。

 他人の心の痛みに触れるには「罪」の自覚が問われます。自問を重ね言葉を交すなか「亡くなられた人に申しわけのうて……」、そう語る広島訛の言葉が格別胸に刺さっています。ちなみにこの聞書は後に『記憶の光景・十人のヒロシマ』(小学館文庫・絶版/現在は、小学館電子版で発売)に収められています。

 死をまぬがれた被爆者が自分を責める心は亡くなった人たちへの弔いに重なります。その心に触発され二〇〇二年、七十五年は草木も生えまい、と言われた広島の草木に死者の御霊を託し、原爆禍を視覚化した拙作集『ヒロシマ万象』(新潮社)を上梓しています。

 それからの十年近く広島、長崎に通い被爆死した人たちの遺品と、閃光と爆風を受けた遺構を見詰めてきました。

 熱線と爆風を浴び原形をとどめない、被爆資料としての遺品は、広島平和記念資料館に約二万点、長崎原爆資料館で約一万八百点収蔵され、品目も生活用品から軍用品まで多種多様です。したがって撮影方法はもとより、遺品の選択次第で、写真に託される視覚言語としての意味は大きく異なってきます。

 私はこれまで知られてこなかった原爆悪の暗部に、より深く分け入るために意図に沿って遺品を選択し、ライトを当ててきました。この作業で予期していなかった大きな発見は、データベースに収録された遺品にまつわる記録です。そこには倒壊した駅舎のもとで身動きができなくなった少年が、襲ってきた猛火のもとで絶命するなど、凄惨な地獄絵が記述され、言葉と写真を拮抗させることで、原爆悪の実相が強烈に伝わってきます。

 遺構として“死者の墓標”となった原爆ドームは、大正時代「広島県物産陳列館」として建てられました。それが太平洋戦争が悪化し、軍事色が強まる被爆時には民間業務は廃止され、政府管轄の会社事務所になっていました。

 一方、隠れキリシタンの聖地長崎は、真珠湾攻撃に使われた魚雷を製造した三菱重工業兵器製作所に代表されるように、軍事工業の都市でした。市内の住吉町には疎開した三菱兵器トンネル工場跡が遺構として残り、ここでは女子挺身隊員や動員学徒、約千八百人が昼夜交替で魚雷部品の製造に当たっていました。

 広島、長崎に残る幾多の遺構からは、国民に辛苦を強い、原爆投下にまで追い込んだ国と指導者の狂気の沙汰が読み取れます。

 このほど上木された拙作集『被爆 ヒロシマ・ナガサキ いのちの証』では、写真頁のほかにデータベースをもとにした長目のキャプションを収録し、写真の表題、テキストとともに英訳しています。原爆死した人たちへの鎮魂を込め、原爆悪と向き合った拙作集が国内外に伝わり、核兵器のない世界平和への力に繋がることを願っています。

小学館 本の窓
2019年8月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

小学館

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