社会学、あなたはどこから?――『社会学はどこから来てどこへ行くのか』スピンオフ

対談・鼎談

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社会学はどこから来てどこへ行くのか

『社会学はどこから来てどこへ行くのか』

著者
岸 政彦 [著]/北田 暁大 [著]/筒井 淳也 [著]/稲葉 振一郎 [著]
出版社
有斐閣
ジャンル
社会科学/社会
ISBN
9784641174412
発売日
2018/11/14
価格
2,420円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

社会学、あなたはどこから?――『社会学はどこから来てどこへ行くのか』スピンオフ

[文] 有斐閣

研究者の「自己紹介」

――『社会学はどこから来てどこへ行くのか』(以下、『どこどこ』)がおかげさまで好評です。方々からいろいろな感想を伺っていますが、書き手が男性研究者ばかりであるのは気になっていました。今回は、永田夏来・兵庫教育大学大学院講師と、齋藤直子・大阪市立大学人権問題研究センター特任准教授の同年生まれのお二人に、違う角度からお話をうかがいたいと思います。

永田 わたしは家族社会学をやっていて、若者の恋愛、結婚、妊娠、出産がテーマですね。なかでも、もともとの専門は妊娠先行型結婚で、いわゆる「できちゃった結婚」の研究をしてきました。なんでそれをやるかっていったら、やっぱり家族規範ですよ。「家族とか結婚ってこうじゃなきゃ」だとか「子どもをもつならこうじゃなきゃ」だとか、そういう常識みたいなのとちょっとズレる行動をするわけよね、妊娠先行型結婚の人たちって。
 彼らはそういうズレを自覚しているんです。なので私がお話を聞きに行くと、自分たちのことを「いやいや、わたしたちはちゃんとした家族なんです。めっちゃちゃんと結婚しているんです。なぜなら……」みたいなことを説明してくれるわけですよ。その説明のロジックを分析するスタイルで研究してます。
 自分の論文や本を書くときには、何人もに話を聞いて、「典型的なこんな感じのお話の仕方をした人がいます」っていうかたちで話のディテールではなく構造に注目したデータを出すようにしています。だから、調査対象者との距離感はすごくむずかしい。本人がはっきり意識してないかもしれない、自分自身の人生についての話の構造にまで踏み込んで書いちゃうから。

――とすると、個人の人生だとか、内面のようなものは。

永田 対象者その人の人間性だとか、その人自身の人生そのものっていうのではないところにも注目するというのが、わたしのスタンスになるんですよ。じつはこれって、調査を進めるのが難しい。話を聞いていると仲良くなるし、その人のことを好きにもなっちゃう。だから「この人こういうところはすごくおもしろいし、ここがめちゃくちゃいいし、好き。でも自分の分析の関心からしたら、ここはもう無視せざるをえない」みたいなことが、ジレンマになる。じつは、それで論文が書けなくなったこともあります。

齋藤 わたしは大阪市立大学で働いています。おもに部落出身者に対する結婚差別についての研究をしています。わたしも、永田さんの抱えているジレンマと似たようなところがありますね。やっぱり結婚差別の話も、エッセンスでじゃないと書けない。個別の人というのは、なかなか出しにくいところがあります。そういった処理の仕方というのは、すごく悩むところです。
 ただ、やっぱり差別した親に直接聞いているんじゃなく間接的に、差別された側のほうから聞いているので、その人の語りとして、もう少しダイレクトに出せるのかなっていうところがありますね。それともう一つ、この人物は固有名詞出さなかったら意味ないやろっていう場合がありますね。

永田 なるほど。対照的というか、『生涯未婚時代』には事例がたくさん出てくるんだけど、全然深入りしないで書いています。「シェアハウスに住んでいる○○歳の△△さんは、~~というふうに言っています。それってこういうことですよね」みたいに、すごく表層的な書き方をしていて。
 なんでかというと、あそこで取り上げているのはある種の「あるある」トークなんですよ。「どこそこに住んでるなんとかさん」という個別性は内容的にあんまり関係ないし、そこに注目してるわけでもないんです。
 さらに、本の中では何人かの話を合成しているから、その人たち自身が読んでも「もしかしたら、これ俺のことかな」くらいには思うかもしれないけど、完全に自分のことだとはたぶん思わない。それくらい一般化を意識した書き方になってる。
 でも、それはエビデンスという点ではけっこう問題があるかもしれない。だって、そういうことを言った人がいるのかって言ったら、いるような、いないような……みたいな感じで、そこの裁量はわたしに任されているから。だから、研究論文ではなくて新書だからこんな書き方ができたけど……っていうところにもジレンマを抱えているっていうのがあるんだよね。

齋藤 語り手には、天性のストーリーテラー的な人がいて「この人の語りをそのまま生かさなかったらもったいない!」みたいな人にどうしても出会ってしまうことがあります。その人がたまたま著名な運動家だったりすると名前を出させてもらうこともあるんですけど、この人、実名でこのまま出したいという欲望が抑えられないということがあるなと思いますね。

永田 そういえば『どこどこ』を読んで自己紹介がおもしろいという話があって。学問業界って「誰それ先生のお弟子さんでしょ」っていうのが、その人の研究について説明する大きな要因だったりするじゃない。たとえば学会でも「どこどこ研でだれそれ先生のところについていて……」みたいな話をすることが多いと思うし、自分が報告して院生から質問が来たとして、そのあとに「先ほどはどうも」みたいなことを話すときにも「どこそこ研の出身で」とか。

齋藤 言う言う。

永田 そうしたら、その人のことがすごいわかった気がする。

齋藤 するする。あるある。

永田 するよね。あるよね。だけど、この『どこどこ』って、もちろんバックボーンをちょいちょいは言っているけど、あんまり関係ない感じで話している。それよりも、自分の研究のルーツを説明するのが、方法論とか、どういう本を読んできたかとか、そっちに行っているのがちょっとおもしろいなと。しかしながら、そういうことを無視していうと、わたしは山田昌弘ゼミなんですね(笑)。

有斐閣 書斎の窓
2019年9月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

有斐閣

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