社会学、あなたはどこから?――『社会学はどこから来てどこへ行くのか』スピンオフ

対談・鼎談

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社会学はどこから来てどこへ行くのか

『社会学はどこから来てどこへ行くのか』

著者
岸 政彦 [著]/北田 暁大 [著]/筒井 淳也 [著]/稲葉 振一郎 [著]
出版社
有斐閣
ジャンル
社会科学/社会
ISBN
9784641174412
発売日
2018/11/14
価格
2,420円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

社会学、あなたはどこから?――『社会学はどこから来てどこへ行くのか』スピンオフ

[文] 有斐閣

社会学者のライフヒストリー

齋藤 あんまりとりえのないというか、なんでもそこそこできる子やったけど、別に読書感想文で入賞するような子でもないし、特に何ができるっていうことがなかった。けど、人権作文と、あと町探検で壁新聞をつくるのだけは異常に好きでしたね。小学校の6年間ずっと同和問題の作文で、あれって匿名で掲載されるんですが、先生がこそってやってきて「市のあれに載せるけどいいかな?」「うん」みたいな感じで、6年間、作文集にずっと載っかっていたし、部落問題にはめっちゃ関心があって。
 それで大学に入ったら差別論とか部落問題の授業があって、あんだけ地域社会で「おおっぴらに言うな」ってメッセージを聞いてきたのに、めっちゃおおっぴらに言っとるやんけとびっくりして。これは差別問題やらんとしゃあない、みたいな感じになった。

永田 卒論はなに書いたの?

齋藤 卒論は、葬儀屋さんと、町内で葬式出してた経験のあるおばあちゃんたちの聞き取り調査。ケガレ意識でやりたくて。
 指導教官が部落問題のことをやっている先生だったので、私も部落問題で書きたかったんだけど、部落問題って社会的・政治的な事情が複雑なので、やっぱり1年や2年でちょろっとやって書けるもんじゃないというので、卒論も部落問題では書かせないっていう立場をとっていたんですよ。直接、部落問題を扱うわけじゃないけど、当時、部落史の分野でケガレの研究が流行していたこともあって、ケガレ意識で書こうと思って。葬儀屋さんに聞き取りをしに行くというので、卒論を書いたんです。

永田 それは先生も指導していて楽しかったやろな。

齋藤 いや、でもギリギリまで書かなかったから。

永田 わたしは、卒論は「セックスレス」。もうちょっと言うと、セックスレスの「お悩み投稿」。さっき言ったような理由で就職活動も「無理無理」って感じだったから。でも、そのときから編集プロダクションでバイトしとったんよ。

齋藤 東京っぽい(笑)。

永田 バイトだから、お悩み相談コーナーの投稿を、当時ファクスとかなんだけど、整理する係をやっていて、めっちゃおもしろいわけ。何百も読むわけ。これがわたしの研究のルーツなんだけど、みんなものすごい個別事情を書いてきても、だいたい話はパターンがあるの。「この話、これと……こうやん」って分類して。

齋藤 「この話、見えてきたで~!」みたいな。

永田 そうそう。「これ、こんなんちゃいます?」とか言って、その話をゼミでしたら、「永田それ絶対おもしろいから、それで卒論書け」って言われて。バイト先から了承を得て、使っていい範囲で卒論を書いたら、これだけデータがとれるんだったら、お前院進にしたらええやんって言われて。それで、いろいろ考えたんだけど、これは氷河期やから就職は無理やなと思って院進したというのが実情なんですよね。だから、やっぱりそのときから関心が一貫しているんやね。

齋藤 してる。そうそう。

永田 卒論から。全然ほかのことやってないからね。ずっとね。

齋藤 そうそう。私たち、研究会を最近一緒に始めたんやけど、その日、永田さんは参加できなかったんやけど、川野英二さんや赤江達也さんたちと研究会立ちあげの相談と称する飲み会をしたんです。そのときに、そろそろ年も年だしサブテーマをやらないと、もしやるならっていう話をしていて。
 赤江さんは台湾で語学の先生をしていたし、川野さんはフランス行っているし、わたしはスペイン語を勉強している。だから、なんでその語学をするようになったのかっていうのをやりたいよねって話になったんです。スペイン語って、サルサのお姉さんのクラスターがいる。サルサのお姉さんの参与観察したいなっていうのもあるけど、でも参与観察するためには自分もしなあかんけど、絶対無理やしっていうので。

永田 おさいさん、けっこう似合いそうやけどな(笑)。

齋藤 ほんまに無理なんですよ! 身体的なものにコンプレックスが強いし、摂食障害だったこともあって、人に身体を見られるっていうのが絶対無理、あと人と身体接触するのが無理なんですよ。サルサのフィールドワーク、すごい精神的に辛そうなんで、できそうもないです。あと、めちゃめちゃどんくさいんで。

永田 博士はいつとったん?

齋藤 博士は2007年。

永田 けっこう時間かかったんやね。

齋藤 そう。1996年3月に卒業して、決めたのが遅かったから、1年浪人して大学院に入って、2年行ったあと、民間の研究所に2年くらい勤めて、そこでものすごい辛い目にあって。人権団体なのに(笑)。それで、また1年フリーターでおはぎ屋さんで働いて。

永田 かわいい。

齋藤 おやつ付き。

永田 いいな。

齋藤 いいバイトでした(笑)。とはいえ、飲食の仕事、働いても働いても手取り少なくて、ほんまきつかったです。バイトしながら勉強して、奈良女の大学院に入り直して、それから5年でとってる。

永田 いろいろやってはるんやね。それを考えると、わたしはめっちゃすくすくと(笑)。家族社会学の大有名人、山田昌弘のところで学部が終わりました。大学院は何個か受けて、本当は江原由美子のところに行きたかったんやけど。江原先生とも仲良くしてもらっていたし、絶対行こうと思っていたんだけど、なんせ同じような理由で院進した人がめっちゃいっぱいいたからね、あのときは。競争率がすごく高いし、それで全然。まあ、ちゃんと勉強してない、付け焼き刃だったから全然ブーで。とはいえ早稲田大学には受かって。早稲田大学、山田先生と仲がいい池岡義孝という家族社会学の先生がいて。もともと正岡司のところの弟子なんだよね……っていうと、なんかわかるやろ。それで池岡先生のところに行きました。そしたら、もう家族社会学やっている人がいっぱいいて。

齋藤 今、家族社会学会でやっている質的調査の中心になってる人たち。

永田 そこで構築主義とか勉強して。それで、博士論文を書いて出たのが2004年くらい。だから、だいたいストレートに行っているんだけど、そこから先は「社会という荒野を生きる」ですよ。それからずっと非常勤をやっていて、全然就職が無理だから。

有斐閣 書斎の窓
2019年9月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

有斐閣

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