罪の轍(わだち) 奥田英朗(ひでお)著
[レビュアー] 千街晶之(文芸評論家・ミステリ評論家)
◆隔世の「昭和」 圧倒的な描写力
奥田英朗の新作長篇『罪の轍』は、東京オリンピックの前年が背景-といっても、二○二○年のオリンピックを控えた今年のことではない。前回の東京オリンピックの一年前にあたる一九六三年が舞台であり、著者の代表作『オリンピックの身代金』の系譜に連なる昭和犯罪小説となっている(警視庁関係の登場人物は『オリンピックの身代金』と共通している)。
東京の南千住で、元時計商の老人が殺害された。警視庁捜査一課の落合昌夫刑事は、南千住署のヴェテラン刑事・大場とコンビを組んでこの事件の捜査にあたる。聞き込みによって、北国訛(なま)りの青年の存在が浮上してきた。やがて、幼い子供の誘拐事件が新たに発生する。
一九六三年は私が生まれる七年前だが、そんな私にとってすら本書に描かれたこの時代の世相は隔世の感が強いので、今の若い世代が読めば、ただ茫然(ぼうぜん)とするのではないだろうか。
例えば、「電話を使った犯人とのやりとりに、多くの刑事が慣れていないのだ。家庭用電話の普及は急速に進んでいるものの、まだ全国で二百万世帯程度でしかない。自宅に電話がある刑事はほとんどいない」といった描写は、二つの東京オリンピックの時代がいかに遠く離れているかを雄弁に物語っている。本書で描かれる警察や検察による容疑者の取り調べの乱暴さにしても、今なら決して大目に見られることはないだろう。
一方で、事件と無関係な大衆が探偵気取りになれる現在の風潮の萌芽(ほうが)が、オリンピックがテレビの世帯普及率を大きく押し上げた作中の時期にあったことも窺(うかが)える。二つの時代の関連も著者は見逃さないのだ。また、時代の急速な発展に取り残された容疑者・宇野寛治の描写も、現在に通じるものを感じさせる。オリンピックのような輝かしい国家的行事が時代を加速させるほど、置き去りにされた人間を包む闇は深まる。その意味で本書は、圧倒的な描写力で「昭和」を再現しつつ、「令和」にも通じる問題を二重写しにした小説と言える。
(新潮社・1980円)
1959年、岐阜県生まれ。作家。著書『東京物語』『向田理髪店』など。
◆もう1冊
奥田英朗著『家日和』(集英社文庫)。家庭内のあれこれを描く作品集。