人間臭くて面白い「踏切」の“ゆるーい名前”

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ゆかいな珍名踏切

『ゆかいな珍名踏切』

著者
今尾恵介 [著]
出版社
朝日新聞出版
ISBN
9784022950482
発売日
2020/01/10
価格
891円(税込)

人間臭くて面白い「踏切」の“ゆるーい名前”

[レビュアー] 嶋浩一郎(クリエイティブディレクター/編集者)

 世の中には人が興味を持たないモノに並々ならぬ情熱を惜しみなく注ぐ人がいる。自分はそういう御仁が嫌いじゃない。いや、むしろ好きだ。一見役に立たないと思われるものが深い意味を持っていたりするのを知るのも大好きだったりする。

 著者の今尾恵介さんは地図の研究家として有名で地図に関する著作も多いのだが、踏切マニアだとは知らなかった。今尾さんによると踏切の魅力はそのネーミング。全く知らなかったのだが全ての踏切には名前がついているのだという。しかも、かなりゆるーい名前が多いそうで、適当にネーミングされているのが人間臭くて面白いのだそうだ。

 そんな珍名踏切は旧国鉄のJR線や、地方の私鉄に多数見られる。「勝手踏切」、「パーマ踏切」、「洗濯場踏切」、「古代文字踏切」、「豆腐屋踏切」などなど、一体どうしてそういう名前になってしまったのかと思う踏切が全国各地にたくさんある。

 著者はそんな珍名踏切を訪ね歩き、じっくり観察。そして、刑事のように地元住民への聞き込みを開始。古い資料などにもあたりその謎を解き明かす。踏切を訪ねて各地を飛びまわっているわけで、一体何のためにそんなことをやっているのかと思うのが一般的な反応だろう。しかし、名前の由来調査は奥が深いのだ。それは鉄道敷設当時の社会情勢を踏切の名前から読み解く一種の考古学とも捉えられるし、推理小説的な知的な謎解きゲームとも言える。

 例えば東京近郊を走る南武線の稲田堤駅の駅前にある踏切は「観光道踏切」という名前だ。東京に住んでいる方はわかると思うが、はて稲田堤に観光地なんてあったっけ?と感じるのが普通だろう。観光地がないところに観光道踏切はあるのだ。実際、著者が聞き込みをした踏切付近の商店街の店の人もそんな通りの名前は聞いたことがないと答えている。そもそも近所の踏切がそんな名前だったのかと驚いたに違いない。著者は昔の資料にあたり駅の北にある多摩川の堤防「稲田堤」が踏切名の由来なのではと推理する。日清戦争の戦勝記念に明治31年に地元の村が多摩川の堤防に250本あまりの桜を植え、王子の飛鳥山と並ぶ花見の名所として花見客を集めていた事実を発掘。南武線の前身南武鉄道は昭和2年に鉄道を敷くが、その時駅から堤防を結ぶ道が観光道路と呼ばれていたのだ。堤の桜はモータリゼーションの時代に排ガスの影響で枯れ、今はない。忘れ去られた観光地の名残が踏切から読み取れたのだ。

新潮社 週刊新潮
2020年2月13日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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