哀しい緊張感は『トーマの心臓』、結末の力強さは『わたしを離さないで』を彷彿とさせる、息をするのを忘れてしまうような小説
レビュー
『無垢なる花たちのためのユートピア = THE NOWHERE GARDEN FOR THE INNOCENT』
- 著者
- 川野, 芽生, 1991-
- 出版社
- 東京創元社
- ISBN
- 9784488028589
- 価格
- 1,870円(税込)
書籍情報:openBD
[本の森 SF・ファンタジー]『無垢なる花たちのためのユートピア』川野芽生
[レビュアー] 北村浩子(フリーアナウンサー・ライター)
無垢、花、ユートピアという単語の並びが繊細な世界を想像させ、滲んだ青を基調とするカバー絵もあいまって、本そのものがどこか遠いところから届いたフラジャイルな贈り物のように思える。初小説集『無垢なる花たちのためのユートピア』(東京創元社)を上梓した川野芽生は、2021年に歌集『Lilith』で第65回現代歌人協会賞を受賞した、注目の歌人のひとりだ。
本書は6つの中短篇を収める。表題作の舞台は、7歳から17歳までの77人の少年と7人の導師が乗った、空をゆく箱船。長く続く戦争で荒れ果てた地上を離れ、天のかなたに隠された楽園を目指している。少年たちはみな花の名前で呼ばれ、永遠に年を取らない。
この聖なる船から、白菫と呼ばれる少年が墜ちて命を落とす。親友の矢車菊は、白菫の遺品のひとつが、船の秘密につながるものであることを知ってしまう。金雀枝、海棠、夏椿、風信子。詰め込まれた花の名の美しい字面が物語の残酷さを際立たせ、「俺」という一人称を用いる後半部分の語り手のなまなましい生を浮かび上がらせる。ページをめくりながら筆者は(ストーリー展開は違うが)萩尾望都の『トーマの心臓』を思い出していた。すみずみまで張り巡らされた哀しい緊張感は、読み継がれるあの名作にそっくりだ。
一通ごとに仕掛けられた驚きが読者を迷宮に誘い込む書簡体小説「白昼夢通信」、異形の美少女を引き取った初老の司祭が己を失ってゆく「人形街」、機械の身体を持つ男と植物の少女の交流「最果ての実り」、月が昼と夜を分かつ、色のない世界の伝説を凝った構成で描いた「いつか明ける夜を」、そしてラストに置かれた「卒業の終わり」は、この作品集の中でもっとも現実に近い分だけ、恐ろしさが肌身に迫ってくるような作品だった。
工学アカデミーの職員として働く21歳の「私」こと雲雀草が、女子だけの「学園」で過ごした頃を回想する。コンクリートの壁で外界から隔離されていた「学園」は、雲雀草にとって、学びの場であるだけでなく育った場所でもあった。胸に去来するのは、親友だった雨椿のこと。彼女は、かつて孤独だった雲雀草に手を差し伸べてくれた、かけがえのない人だった。しかし少しずつ友情は変化し、卒業の頃には苦い結末を迎えてしまう。社会人になってからもたびたび「復縁」を求める手紙を送ってくる雨椿を、雲雀草は忘れたいとさえ思っていた。
あるときから、ぱったりと手紙は届かなくなる。その理由を偶然知った雲雀草は、自分たちをとりまく世界の真実をも少しずつ知っていくことになる。
カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』を彷彿とさせる物語の、結末の力強さにああ、と思わず大きく息をついた。自分が時々呼吸を止めながら読んでいたことに、そのとき気付いた。