英語のおしゃれアイテム「;」セミコロンは愛されたり憎まれたり奥が深すぎるヤツだった

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チャンドラーが愛し、ヴォネガットはこきおろした「;」。その使い方とは?

[レビュアー] 渡邊十絲子(詩人)

 セミコロンという記号がある。高校時代に、英語の授業で「ひとつの文を終わらせる力がピリオドほど強くなく、かといってカンマほど次へつながってもいかない」などと説明され、わかったようなわからないような気になったことを思い出す。「なぜならば」や「しかしながら」などの接続詞を書けば文意が明確になるが、そこまで四角四面な文にする気はなくて雰囲気で流していくときに使うおしゃれアイテムだと、わたしは感じた。

 文章を書くとき、句読点の使い方がむずかしいと感じる人は少なくない。基本的にはテンとマルしかない日本語ですらそうなのに、コロンやセミコロンまで加われば混乱が生じるのは当然だ。この本は、セミコロンを忌み嫌う人と愛好家双方の思想の歴史を描き出し、笑ってしまうようなエピソードもふんだんに盛り込まれた読み物である。堅苦しくはありません。

 セミコロンは「まったくもって何の意味も持たない」と断じ、「せいぜい大卒アピールになる程度」とまでこきおろしたカート・ヴォネガットから、セミコロンを愛し、その「転がし方」を心得ていて、かっちりとした文法規則に従うよう求めてくる校正者にいやみたっぷりの反撃をしたレイモンド・チャンドラーまで。みんなそれぞれ、セミコロンに対して個人的な愛憎がある。

 著者はセミコロンの誕生から話を始め、文法規則でその意味や使い方を縛ろうとする動きと、そこから逃れて自由に羽ばたいてしまうセミコロンの運用とを観察し、最後にはルールという柵の存在について〈柵は内部のものを保護するだけでなく外部を拒絶する。そうした言葉の柵によって、会話から、公の場から、学問の世界から締め出されてしまうのはどういう人だろうか〉と記す。単なるおしゃれアイテムじゃなかった。セミコロンという窓から大きな世界を見渡した、愉快な本だ。

新潮社 週刊新潮
2023年10月19日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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