ザ・ブックレビュー 宝塚の本箱
2021/03/29

「ロミオとジュリエット」の悲劇が終わる時……原作を読んだ元タカラジェンヌが考える

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純愛に手を差し伸べるふたりの大人

 この物語の主役は若者たちであるわけだが、重要な役割を担う大人の存在を忘れてはならない。

 原作の中でもひときわ目立つのが、ジュリエットの乳母だ。お喋りで男好き、下品な冗談をぽんぽん飛ばす、とても賑やかな婦人である。彼女はジュリエットの恋を後押しし、モンタギューの若者らをも振り回して物語を大きく動かす。

 宝塚版の乳母は、ふくよかな体型で歌い踊る姿が豪快で可愛らしい。上演のたびに誰が演じるか注目される、まさにキーパーソンだ。

 2013年に星組で乳母に扮した美城れんさんは、圧倒的な存在感で役を体現されていた。
結婚するジュリエットを思う歌「あの子はあなたを愛している」では愛情だけでなく、大胆でコミカルな乳母にひそむ溢れんばかりの優しさ、ジュリエットの成長を見た喜びとさびしさが感じられた。噛み締めるような歌声には、イタリア貴族の家に仕える一人の女性の半生までを思い描かせる深みがあった。

 原作の乳母はあけすけさや卑猥な言葉ばかりが印象に残るが、実際に舞台で演じられると、台詞の行間から彼女のこまやかな感情が浮かび上がってくる。

 死んだ亭主の話をしてしまったことを謝るジュリエットに「いいんですよ」と見せる笑顔。ジュリエットが結婚式にのぞむ前、手にした薔薇の花を乳母に預ける。そんなさりげない一瞬の動作に、乳母の歩んできた人生、その堂々とした年輪が見えるのだ。

 ロミオとジュリエットの運命に深く関わることになる、もう一人の大人がいる。

「分別をしてな、そしてゆっくりと。とかく駆け出す奴が躓(つまず)くのだ」

 そう言って、恋に一直線なロミオを諫めるのはロレンス神父だ。モンタギュー家とキャピュレット家とに二分されている登場人物たちの中で、神父は数少ない中立の立場である。彼は厳格な宗教者というより、若者たちにとって頼れる相談役といった存在。

 星組の初演、月組での再演では、専科(主に老け役や脇を締める渋い役を演じるベテランが所属し、組を超えて出演する)の英真なおきさんがロレンス神父を演じた。ロミオに向けるその眼差しは、幼い子供を見るように柔和だった。厳しい言葉を投げかけながらも、最後までその瞳から慈愛の色が消えることはない。神父の瞳にともるあたたかみはロミオとジュリエットの絶望を明るく照らし、彼らにとって心強い味方であり続ける。

 英真さんの演じるロレンス神父は、模範的な聖人ではない。憎しみに支配された街で神父をつとめる彼は、愛の清らかさだけでは人生を歩めないと知っている。ロミオをマントヴァ(原作ではマンチュア)へ行かせるシーン、ジュリエットに薬を渡すシーンでは、綺麗事を並べるだけの聖職者ではなくどこか凄みを宿した人物として物語の現実感を確立した。

「憎しみ」を演じるとは

 2011年に雪組で上演された「ロミオとジュリエット」。私は、キャピュレットの若者の一人を演じていた。複雑なコーラスや難易度の高いダンスナンバーなどが山盛りで、朝から深夜までお稽古場で大暴れしていた。

 私たちのお稽古着は、舞台衣装に倣って統一された。モンタギューチームは青い服、キャピュレットチームは赤い服。タオルやバッグは自由なのに、敵チームの色の持ち物は避けるほど、皆が戦闘モードだった。

 お稽古が進むにつれて難しく感じたことがあった。ふたつの家の若者同士が憎み合うのは「何代にもわたって、一族同士が争ってきたから」という理由なのだ。筋道の通った怒りや、明確なわだかまりが見えないと、憎しみの感情を保つことはなかなかできない。形だけのいがみ合いはできるが、それではうすっぺらいお芝居になってしまう。

 日頃喧嘩し合う相手はいるにしても、若者たちは皆、敵の一人一人に対して恨みがあるわけではない。1ヶ月以上、1回3時間の公演で闘い続ける原動力である「親から受け継がれる憎しみの根源」について、演者はどうしても考える必要があった。

 私の場合は、具体的な憎しみの理由やこまかい感情の流れを、あえて決めずに演じていた。どんな気分でいても、モンタギューの人物と舞台上で出会った瞬間に体中の血液が沸騰する。青い者を見たら唾を吐く、殴りかかる。

 それは「キレる」という感覚に近いこともあれば、得体の知れない真黒な怒りが体の内側からゆっくり湧き立つように感じる時もあった。ヴェローナの若者が、敵と対峙する瞬間に取り憑かれる憎しみを役に宿したいと思っていた。

 私はそれまで、人は理由なくして誰かを傷つけることはないと考えていた。でも、本当にそうだろうかと立ち止まった。

「人の血の中に毒が流れてる 憎しみという名の消えない毒が流れる 美しい娘や若者たちでさえ ここはヴェローナ」

 連綿と続く憎しみの鎖にとらわれ、本能のまま傷つけ合う若者たち。この世から絶えない争いの縮図が、ここにありはしないだろうか。

争いを断ち切るために

「愛のために」という曲の中で、ロレンス神父が刹那的な愛を否定し、ロミオが愛の素晴らしさを繰り返し訴えるのは興味深い。人生の辛苦を知り尽くした神父でさえ、愛の奇跡を信じたくなる――そんな純朴な輝きがロミオから溢れている。

 ロミオの思いに心動かされたロレンス神父だが、その平和を望む心と知恵が、物語を思わぬ方向へ導く。神父は、ジュリエットを望まない婚約から遠ざけるために仮死状態になる薬を渡すのだが……。

「どうやら、人間の力ではどうにもならない大きな力が、私たちの計画を阻んでしまったものと見える」

 悲劇的な結末を確信した神父の、重々しい呟きだ。

 争いを終わらせるためとはいえ人々を騙す計画が「聖職者として正しいか」ということよりも、ロレンス神父は自らの行い自体をどう感じていたのだろう。善行と信じて決行した企みが、結果として不幸な死を招いてしまったのだから……。ロレンス神父は人間の弱さをこれでもかとさらけ出し、その葛藤を歌い上げる。

「この体も魂も 全てあなたに捧げてきた だが祈りは届かなかった 何があなたの怒りをかったのでしょうか」

 この悲劇を目の当たりにしたヴェローナ大公は、原作でこう言い放つ。

「われら一人残らず罰を受けたのだ」

 この言葉の厳しさは、作中の人物だけではなく読者をもはっとさせる力がある。「われら」には、大公自身も含まれている。そして、長きにわたりこの争いを見過ごしてきた全ての傍観者たちも。

 皆が打ちひしがれる中、嘆きの底から立ち上がって最初に和解するのは、ロミオとジュリエットの母親同士だ。子供の死という耐えがたい悲しみを経験し、初めてお互いに心を通わせる二人の母の姿はとても印象的だ。

 物語のはじめに、モンタギュー家とキャピュレット家の争いはこう歌われている。

「誰が禁じても 決して終わらない」

 その言葉の通り、両家の長い諍いは、禁止されるのではなく赦しあった時に終わるのだ。
どれだけ時代が変化しても、人間同士の争いはなくならない。はるか昔の戯曲からヴェローナの人々が語りかけてくるのは、この世に数多ある悲劇を繰り返さないための戒めだ。

 ***

早花まこ
元宝塚歌劇団娘役。2002年入団。劇団の機関誌「歌劇」のコーナー執筆を8年にわたって務め、鋭くも愛のある観察眼と豊かな文章表現でファンの人気を集めた。2020年3月に退団。

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