ザ・ブックレビュー 宝塚の本箱
2022/07/22

「友情とは相手が生きているあいだに発揮するもの」 元タカラジェンヌが熱く語る、不朽の名作『グレート・ギャツビー』の古びない人生哲学

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グレート・ギャッツビー(イラスト・はるな檸檬)

月組宝塚大劇場公演初日の本日、元宝塚雪組、早花まこさんによるブックレビューをお届けします。
今回取り上げるのは、本日初日を迎えた舞台の原作で、宝塚では3度目の上演となる『グレート・ギャツビー』。この度の公演でギャツビーを演じる月組トップスター、月城かなとさんの美しすぎる先行画像に胸躍らせた方も多いかと思います。どうか千秋楽のその日まで、無事に幕が開き続けますように……! はるな檸檬さんによる2組のギャツビー&デイジーのイラストにもご注目ください!

華麗なる男との出会い

『グレート・ギャツビー』は、アメリカの作家、F ・スコット・フィッツジェラルドの代表的な小説であり、世界中で読み継がれている名作だ。1925年に刊行されたこの物語は、謎の紳士、ジェイ・ギャツビーの人生を描いている。

 舞台は1920年代のアメリカ、ギャツビーと彼を取り巻く人々が過ごしたひと夏の出来事が、ギャツビーの友人ニックの目線で語られる。大邸宅に多くの客人を招いて夜ごとパーティーを催すギャツビーは、デイジーという女性を長年思い続けている。彼女との再会は、その夫トムや愛人たちを巻き込んで、思いも寄らない展開をもたらす。

 この傑作小説は何度も映画化されているが、宝塚歌劇団では、小池修一郎先生の脚本・演出で世界で初めてミュージカル化された。1991年に上演された雪組公演「華麗なるギャツビー」、のちに「グレート・ギャツビー」と改題されて2008年に月組選抜メンバーにより日生劇場にて上演されている。日本語版の小説は多数出版されているが、今回は村上春樹さんによって翻訳された「グレート・ギャツビー」を取り上げてみたい。

 小学生の時に宝塚歌劇にのめりこんで以来、私は様々な作品をビデオ映像で繰り返し観ていた。そんな私が再び観なかった作品、それが「華麗なるギャツビー」だった。「大人の世界の不条理さ」へ、子供ながらの強い嫌悪感を抱いたからかもしれない。その後二度と観ることはなかったが、その分、今まで観た宝塚作品の中でもっとも忘れがたいお芝居とも言える。

綺麗なおばかさん

 当時のトップスター、杜(もり)けあきさんが主演をつとめられた「華麗なるギャツビー」の映像を観た時、私は14歳くらいだった。暗さと明るさのコントラストの激しさ。大人の男が醸し出す余裕を感じさせる、杜さんの伸びやかな歌声、恋人を見つめる切実な眼差し。そして、トム・ブキャナンを演じた海峡ひろきさんの感情的なあざとさ……。キャラクターの濃い登場人物 たちはすさまじくエネルギッシュな1920年代を体現していた。

 大人になった今でもはっきりと覚えているのは、デイジーの台詞だ。彼女が自分の娘を見つめて語る、有名な言葉。

〈「この子が生まれた時、私、思ったの。綺麗なおばかさんに育てようって。だってそうでしょ。女の子は綺麗で、自分が幸せだっていつまでも信じていられるくらいばかなのが一番なのよ」〉

 幼いながら、「子供は聡明に育つべき」と思っていた私にとって、全く反対の価値観に衝撃を受けた。身分違いゆえにギャツビーとの恋を諦めたデイジーは、大富豪のトムと結婚する。だが、子供が生まれ幸せの絶頂であるはずの時に、彼女は自らの幸せがいつまでも続くとは信じられなくなっていたのだ。この台詞の真意は、当時の私が思いもよらないことだった。

 お芝居の中で鮮烈な印象を残したのは、最後のシーンだ。デイジーの過ちをかばったギャツビーは恨みを買い、銃撃を受けて命を落としてしまう。デイジーは彼の葬儀に現れ、無言のまま、ただ白いバラを一輪手向ける。14歳の私にとって、その様子はとんでもなく冷酷に映った。彼女を一途に、命がけで愛したギャツビーに感謝を捧げ、もっと感情をむき出しに涙を流すべきではないのか。私は、ギャツビーに対するデイジーの理不尽な仕打ちが許せなかった。

 それ以来「華麗なるギャツビー」と聞くと、悲しくてやるせない感情が沸き起こり、胸がぎゅっと締め付けられた。少々恥ずかしいことだが、大人になってからもその時の印象は拭えず、再演を観劇することも映像を見ることも避けてきた。

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